書名:岩倉具視 言葉の皮を剥きながら
著者:永井 路子
発行所:文藝春秋社
発行年月日:2008/3/1
ページ:251頁
定価:1524円+税
岩倉具視は貧乏公家で目立った存在でも無かったが、孝明天皇の側室に妹紀子が選ばれたことによって世の中に出て来る。幕末から明治維新までの岩倉具視の動きを中心にまとめている。尊皇攘夷という言葉で隠されてしまっているが、当時公家であっても、幕臣であっても攘夷なんか出来るわけがないという現実は十分認識していた。
また倒幕なんていう考えもなかった。良いところ反幕位で政治の主体は徳川幕府が行う。大政奉還をおこなっても中心は徳川家がやるものだと思っていた。「錦の御旗」と宮さん、宮さんの歌は大義名分を作るために官軍側が作りあげたもので、元々錦の御旗なんてなかった。鳥羽伏見の戦いに官軍が勝っても、大名達は官軍には参加しなかった。また逆に西郷などは殿様には参加して貰いたくなかった。新政府軍は下級藩士たちが主力でやっているのに今更殿様が出てきては大迷惑と。
当時は真剣だったかもしれないけれど第三者的に見ると明治維新もひとつの喜劇をみるように面白いところがいっぱいある。永井路子流の視点で喜劇的に見ている。また政治家には潔癖、清潔な人は向いていない。岩倉具視の真面目すぎて政治家には向いていなかったようだ。孝明天皇を毒殺した等の噂はまったく根拠のないこと。そんなことが出来る人ではなかったようだ。
明治維新で忘れてはならないことの一つに大政奉還(頼朝以来の武家の政治主権を返上)ととも平安時代から続いた摂関政治の廃止。これによって軍事大国への道を進むことが可能になった。歴史家はこれを忘れている。
本書より
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「一台の馬車につけられた数頭の馬が、思い思いの方向に車を引っ張ろうとするように、一人一人が主役のつもりでひしめきあい傷つけあううちに、いつの間にか流れが変えられてゆく・・・・そうした歴史というものを描くための一つの試みとして」
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いつの時代でも一人一人が主役のつもりで行動するようだ。はたからみると悲劇的であり、喜劇的である。笑って誤魔化すしかないようだ。