書名:名君の碑(いしぶみ)
著者:中村 彰彦
発行所:文藝春秋
発行年月日:2001/10/10
ページ:698頁
定価:914円+税
江戸時代初期、二代将軍秀忠の落胤として生まれ、秀忠の妻お江与の方から刺客を送られたり、命を狙われながら、武田信玄の娘、見性院、その妹信松院に保護されて生きて行く。その後信州高遠城の保科正光の養子となる保科正之の生涯を描いた長編歴史小説です。
保科正之は会津藩保科(松平)の礎を築いた藩祖で息子の代に松平性を賜る。三代将軍家光の腹違いの弟ではあるけれど、臣下として礼をとり続けた。家光が死に臨んで息子「家綱」のことを正之に後見するように依頼した。その言葉を全身を傾けて、会津藩にも22年間一度も帰らず、将軍家、天下国家のことのみに一生を費やした。江戸幕府中興の貢献をした人。でも保科正之という人は明治時代以降歴史の中からは全く忘れられてしまった偉大な人。
幕末会津藩は徳川幕府の中心的存在として松平容保、薩長にとっては朝敵。憎むべき人と位置づけられてしまった。会津藩が徳川幕府大事で徳川家に忠誠を尽くすように教えられてきたのは保科正之が作った。「会津藩家訓」十五条の教えによるところが大きい。明治時代になって薩長中心の学者たちが朝敵については無視することが当たり前になってしまった。
中村彰彦氏がこの保科正之を再評価して世に出した人です。
四代徳川家綱の世は実は江戸時代でも治世が一番上手くいった時代。戦国時代が終わって家康、秀忠の武断派を中心の時代から、家光の武断派+文治派の時代、そして家綱の文治派の世と移ってきた。その時に家綱の後ろには叔父保科正之がいた。家綱の行った善政は保科正之の貢献が大きい。
国家に対して行った事
・家綱政権の三大事業の達成(末期養子の禁の緩和、大名証人(人質)制度の廃止、殉死の廃止)
・玉川上水の開削の建議
・明暦大火直後の江戸復興計画の立案と、迅速なる実行(ただし江戸城天守閣は無用の長物として再建せず)
会津藩として行った事
・殉死の禁止(幕府よりはやく)
・社倉制度の創設(以後飢饉の年にも餓死者なし)
・間引きの禁止
・本邦初の年金制度の創設(90歳以上の者(男女を問わず)に終生一人扶持(米1日5合)を給与
・救急医療制度の創設(旅人でも救援する。費用は藩が持つ)
・会津藩の憲法である家訓十五ヶ条の制定
詳しく知れば知るほど魅力ある人物です。家光の実弟駿河大納言忠長に比べて謙虚で奥ゆかしく、出しゃばらない足を知る人として人々と接した正之。威張ることのない人柄に当時の人々が信をおいたように思う。嘘は言わない。虚言、暴言ははかない。江戸城大広間でもいつも末席に控えている。そんな人物が江戸時代にもいた。後に寛政の改革を進める松平定信は保科正之を見本にしたと言われている。長い長い物語ですが、読みやすくわかり易い本で一気に読んでしまいました。