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のぼうの城
« 投稿日:: 11月 15, 2012, 12:02:44 pm »
書名:のぼうの城
著者:和田竜
発行所:小学館
発行年月日:2008/07/22
定価:1,500円+税

今、ちょっとベストセラーになっている小説です。(昨年12月頃発売、直木賞候補)大抵の本屋では山積みになっていると思います。現在の埼玉県行田市の忍城(おしじょう)、埼玉古墳群の丸墓山古墳が舞台。
この地域戦国時代は北條(小田原)、上杉(越後)、武田(甲斐)の勢力に挟まれて時には上杉、時には北條とその時々強い方についているという状況でした。時は豊臣秀吉が全国統一の最終段階、小田原の北條攻めの時、その北條氏の支城忍城(成田氏)を石田三成が総大将となって攻めた話です。城主・成田氏長は小田原城にて篭城。
 城主氏長は忍城に残る家臣に豊臣秀吉に投降するように指示しての籠城だったのであるが、石田三成側の降伏勧告があまりにも非情であったため、城代成田長親は戦うことを宣言。石田三成軍2万の兵に対して家臣と農民をいれても3000の兵が忍城に立てこもった。本陣を丸墓山古墳におき近くを流れる利根川、荒川を利用した水攻めを行うことに決定し長さ28kmにも及ぶ堤を建設。(後に石田堤と呼ばれる)忍城を水で満たして攻めたが、何者かに堤を破られてて、忍城は落城せず、北條氏の小田原城が先に落城。城主の指示で忍城は開城となった。

「のぼう」という「でくのぼう」のこと。城代成田長親のこと。この戦いの前後では全く目立たないできの悪い城代。智も仁も勇もない男、しかし誰にも及ばぬ「人気」があった。
天下統一を目指す豊臣秀吉の軍勢が唯一落とすことが出来なかった忍城の物語です。徳川家康が戦に勝てなかった相手真田正幸(上田城)は有名ですが、この忍城のことはあまり知られていないのではないでしょうか?

 昨年行田市郷土博物館(忍城跡)に行ったときに初めて知って意外に思っていたのですが、先月行田市郷土博物館(忍城跡)に行ったときにこの本の著者の行田市での講演会の様子を館内ビデオで拝見してこの本のことを知りました。またこの本の出来たいきさつ、著者が勤めている業界新聞社の同僚(後輩)が行田市の出身。一緒に飲む機会などに忍城の水攻めのことを話をして興味を持った著者が何かも行田市を取材してこの「のぼうの城」が生まれたとか?そこで行田市のサービスで行っているレンタル自転車(無料)が取材に役に立ったとか。戦国時代は馬で移動、自転車の距離感が時代に向いているとのこと。
丸墓山古墳に石田三成、上杉謙信が登って忍城攻めの構想を練ったところというのも興味がある。関東平野の中なので18m程度の丘に登るだけで辺り一帯を眺望できる。そんなところを水攻めにした石田三成の戦下手も興味あるところ、副将の大谷吉継、長束正家(事務が得意)、その後の関ヶ原の戦いの結果が予想されるところか?

行田市郷土博物館(忍城跡)
http://yokohama.fau.jp/cpg/thumbnails.php?album=57&page=4