書名:日本/権力構造の謎(上)
著者:カレル・ヴァン・ウォルフレン
訳者:篠原 勝
ページ:500頁
発行所:早川書房
発行年月日:1994/4/15
定価:718円+税
日本/権力構造の謎の上巻をようやく読み終えた。この本は「 菊と刀 」ルース・ベネディクト (著)と同じように日本、日本人、組織、暮らしを分析した日本社会論。日本人は自分自身について、自分たちの国についていったい何を知っているのか?
日本における権力の行使のされ方に焦点をあて、政治、ビジネス、教育等あらゆる側面からこの国を動かす特異な力学を徹底的に分析した、衝撃の日本社会論。日本という国家は誰が権力をもっているのか。どこに権力の中枢があるのか。どのように権力がはたらいているのか。日本人でさえ解きがたい謎に一人のオランダのジャーナリストが敢然と挑んだ。
日本史の詳細な部分については首をかしげるところもあるが、ジャーナリストとして鋭い視点、新たな視点が面白い。日本人の誰も意識していなかった事を旨く説明している。一読の価値のある本だと思う。また上巻しか読んでいないが、原発事故以来大手マスメディアの垂れ流す偏向報道が目立ってきた?
勿論前からも、そんなマスメディアを牛耳っている存在(電通)をこの「日本/権力構造の謎」で電通の正体について非常にわかりやすく解説されている。
その他、警察のお巡りさんのこころ暖まる話、最近、冤罪問題が表面化してきた検察の分析、日本の裁判所の実情、何もしなかった首相鈴木善幸の話、田中角栄の官僚の使い方、中曽根康弘、岸信介、安部晋太郎、金丸信、など政治家の話、日本人は何故服従するのか?オランダ人の目で見たとき不思議と感じるところをわかりやすく、説明しています。この本が書かれた1994年という事を考えても、先を読んでいると思わせる部分もあります。面白いところがいっぱいですが、それは下巻を読んでから
本書より
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影のメディア・ボス
電通ほど一手に、直接、あるいは多数の下請けを使って大衆文化を作り出している企業体は世界中どこを探しても、ほかにない。万国博やローマ法王訪日時の準備など、主要イベントもこのカイシャが総合企画・演出の陣頭指揮に立つ。電通はまた、政治的に活発な動きを見せる。これについては、すぐ後で詳細に考えよう。
電通は、日本の全テレビ・コマーシャルの三分の一の直接責任者であり、ゴールデンタイムのスポンサーの割り振りに関して実質的に独占的決定権をもつ。多数の子会社や下請け会社を通じて行使する統制力については、いうまでもないだろう。約百二十の映像プロダクション、四百以上のグラフィック・アート・スタジオがその傘下にある。午後七時~十一時の時間帯の番組にコマーシャルを出したい広告主は電通を通すしかない。スポンサーの選定と放送番組の内容の大部分を電通が握っているからだ。
番組制作者たちは、冗談めかして、電通の事を“築地編成局”と呼ぶ(電通の巨大な本社は東京の築地にある)。日本では、扱い高が即、政治力になるので、電通はこうした役割を演じられるのである。このような状況下では、電通に気をかけて扱ってもらえることが一種の特権となり、立場が逆転して広告主が電通の指示に従うことになる。商業テレビ局にとっても事情は同じで、電通に極度に依存する形になっている。
その結果、電通の影響力は日本のテレビ文化の内容まで左右し、世界中どこにも類例が見られないほど、強力なマスメディアを通しての社会統制力になる。そして、このことには重大な政治的意味がある。テレビという麻薬が日本ほど見事に利用されているところは他にない。また、その中毒症状がこれほど強く蔓延しているところも他にない。レストラン、各種の店、観光バスの中、タクシーの中にまでテレビが備えつけられている。テレビ番組の相対的な質の高さを誇れる国は、あったとしてもきわめて少ない。だが、テレビが全世界的に文化を砂漠化しているとしても、その悲惨さの程度はかなりの差がある。皮肉な事に、NHKが、官界ともっとも直接的につながる局でありながら、リポーターが社会的な問題について掛け値なしの疑問を投げかける、まじめな番組を放映することがある。それ以外はNHK定食番組にみられるように疑似学術的で無害の、論争を注意深く避けた番組をはじめとし、風刺漫画に近い日本人好みの社会風俗を描くホームドラマがあり、そして頭がまったく空っぽのショー番組までどの局にも揃っている。
クイズ番組や素人のど自慢は外国のもの真似番組であるが、日本ではこの種の番組は愚神礼賛の域に達している。人気“スター”は大量生産され、その“キャリア”はめったに二年以上もたない。彼らは、単に有名であるがゆえに有名だという欧米諸国の芸能人現象の拙劣な劇画といえる(22)。
このような現象を国際的に評価する一般的な基準はない。しかし、欧米諸国のたいていのテレビ番組が平均精神年齢十一、二歳の視聴者に合わせているとすれば、日本のテレビ番組は平均精神年齢八、九歳に合わせている。日本で日々の娯楽の質を決定する上で主要な役割を果たしているのは電通であり、電通はほとんどどすべてのものを最低レベルまで下げるのに成功している。頭の働きを鈍化させる芸能娯楽を作り出す機関は他の国にも存在するが、今ここで我々が検討しているのは、ほぼ完全に他者を締め出して、大衆文化の質の向上を抑制したり拘束できるだけの力を持つ組織のことである。
電通出身者の落ち着き先の一つはテレビ番組の人気度評価する視聴率調査会社、ビデオ・リサーチ社である。---中略---
一九六二年に電通が設立したのがこのビデオ・リサーチ社で、管理者(アドミニストレター)たちに不評なテレビ番組を排除するのにも活用される。論争の的になる時事問題(例えば、部落問題、文部省による教科書検定、税制など)を扱った「判決」という番組は、低視聴率という口実をもって、放送が打ち切られた。
(6章 従順な中産階級 )