書名:真実の東北王朝
著者:古田 武彦
発行所:ミネルヴァ書房
発行年月日:2012/3/20
ページ:375頁
定価:3200円+税
東北の古代の王朝についての古田武彦の論文などを集めた本です。最初に日本
中央の碑について坂上田村麻呂が朝廷の力を示すために刻んだとか、諸説が一杯
あります。西行法師や線式部が和歌に詠んだ「壺のいしぶみ」ではないかとか?
現代の青森県が日本中央という碑です。
また多賀城碑については原文の解読の中で、まっかつ国(渤海)、黒竜江などの
記述もあるので古代は現代のウラジオストック沿岸、樺太沿岸、黒竜江流域まで
東北の王朝は交流があったのではないかと言っている。
まだまだ謎の多い古代東北の王朝についての証跡を求めながらの古代ロマンが面
白い。また偽書として有名な「津軽外三郡誌」を取り上げている。蝦夷、陸奥、
アテルイ、阿倍氏、清原氏(奥州藤原)などの前、筑紫と共に稲作が伝わったと
される津軽の謎についても面白い見方を示している。
講演・多賀城碑について 古田武彦
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/simin08/tagazohi.html多賀城 去京一千五百里
去蝦夷国界一百廿里
去常陸国界四百十二里
去下野国界二百七十四里
去靺鞨国界三千里
多賀城碑金石文について
去京一千五百里 (京を去ること一千五百里)
「京」は平城京。平城京からの駅数と、駅間の里程から計算すると「一千五百里
」に近い距離になるという。
去蝦夷国界一百廿里 (蝦夷国の界<さかい>を去ること一百廿里)
蝦夷国境を、桃生郡の辺とする説、衣川、一関とする説などがある。
去常陸国界四百十二里 (常陸国の界を去ること四百十二里)
「東奥紀行」の著者長久保赤水は、同書の中で天平時代の常陸国境が今の那珂湊(
茨城県)で、六町を一里とすれば、そこから多賀城までほぼ412里になる、として
いる。異説もある。
去下野国界二百七十四里 (下野国の界を去ること二百七十四里)
下野国と陸奥国の国境は白河関付近。
去靺鞨国界三千里 (靺鞨<まっかつ>国の界を去ること三千里)
「多賀城市史3」に、「日本で靺鞨国としたのは、渤海の東北に存在した黒水靺
鞨に代表される渤海に服さない靺鞨族を指した呼称か、あるいは渤海国を構成す
る靺鞨族をも含めて、広義の意味での靺鞨族全体に対して靺鞨国と表したのかも
しれない」とある。
日本中央の碑(歴史公園の保存館)
http://www.aptinet.jp/Detail_display_00000701.html昭和24年に発見された日本中央の碑は、高さ1m80cm、幅約80cm、鏃で日本中央と
彫ってあります。一説では、平安時代に坂上田村麻呂が朝廷の力を示すために刻
んだとか、西行法師や線式部が和歌に詠んだ「つぼのいしぶみ」とも考えられて
いますが、未だ謎。
邪馬台国の会ホームページ
http://yamatai.cside.com/index.htm