書名:むもん法話集
著者:山田 無文
発行所:春秋社
発行年月日:1964/3/21
ページ:465頁
定価:680円+税
山田無文さんの妙心寺山内霊雲院住職、花園大学学長の時、いままでのわかり
易いとの評判の法話を集めてものです。その後無文さんは妙心寺の管長も務めら
れています。チベット探検で有名な河口慧海に憧れて出家、修行が厳しくて結核
になってしまった。禅の教えをわかり易い言葉で語っています。空、無の例えを
カメラ、カメラのレンズ、鏡などを例にカメラに写っているものは実体ではない
。しかし写っている。鏡に写っているものも実体ではない。カメラ、レンズ、鏡
は無、空である。観た人、見た視点によって綺麗な女人が写っていたり、汚い汚
物が写っていたりする。
カメラ、レンズ、鏡には何もない。ただそこにあるだけ。昭和30年代の本ですが
、なかなか面白い。今と同じようなことを言っている。お釈迦さんの時代もまた
同じように言っている。人間というもんはちっともかわらんもんや。この本の語
り口調にゆったりと浸っていると何となく落ち着いてくる。せちがらい現代には
少しペースの違った口調もまたいいもんだ。
先日、妙心寺に生まれ育ったという女性(83歳)にお会いして山田無文さんの
こと、盛永宗興(花園大学学長、竜安寺住職)さんのことなどをお伺いして、こ
の本を読み返してみた。旅行に行くときにカメラを持って、自分は写らないのに
人の写真ばかりとってあげている人などはもう菩薩、ボランティア精神とはそん
なところにあるのではないか。
生まれたままの人間には尊厳はない。日々精進してほとけに近づくそんな素質を
みんな持っている。だから人を見たらほとけと敬い、尊敬する。それぞれの人々
がそうすることができるようになるとそこは浄土と。(これはなかなか含蓄があ
って一気にわかるにはやっぱりいろいろな汚れを落とさないとわからないようだ
)禅問答、分かったようなわからない話もたまには楽しい。