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最後の相場師
« 投稿日:: 4月 21, 2015, 01:05:02 am »
書名:最後の相場師
著者:津本 陽
発行所:角川書店
発行年月日:2003/4/10
ページ:327頁
定価:500円+税

この物語のモデルは是川銀蔵、史上最大にして最後の相場師と呼ばれた男の晩年79歳からの物語。有名な相場師は世間に名前を知られるようになったときには落ち目、そして名相場師と言われた人達は長くて5年、その後跡形もなくいなくなってしまう。佐久間平蔵79歳は妻千代65歳と2LDKのマンションに暮らしていた。近所の人達からは年金暮らしの夫婦としかみえない。慎ましく質素な暮らし。相場師と呼ばれること一番嫌っていた。

兵庫県赤穂市の漁師の7人兄弟の末っ子として生まれた。小学校卒業後丁稚、その後満州で軍を相手に貿易会社を経営、贈賄容疑で逮捕される。未成年ということで無罪になって日本に帰国。金属資源を扱う商店を経営するが倒産、青島へ渡り現地の通貨である一厘銭を両替し、金属資源として売却する商売で繁盛したがドイツの参戦、孫文に貸した3万円を返却して貰えずまたもや倒産。大阪で亜鉛メッキ工場を経営。昭和金融恐慌が発生し、預金している銀行が破綻したことなどから会社が倒産、製鉄株式会社を設立させ従業員1万人を雇用する朝鮮有数の大企業となった。が終戦で全ての財産を無くした。

そして79歳になって今での経験があった金属資源、資源株を中心とした株を買い占めを行う。株でもうけるというのは「安値で買って高値で売る」「高値で売って安値で買う」という単純原理。しかしその簡単なことを実際に実践するのは至難の業。特に人に左右されずに自分一人の判断で実践する難しさが良く書けている。

この物語は1976年日本セメントの買い占め、仕手戦の様子を詳しく綴っている。これは高値で売り抜けて成功。佐久間平蔵が晩年それなりの財産も出来、遺産も残せるようになっているのにまだ「金の執着」が抜けきれないと思われるかもしれないけれど。実態はどうも違う。8億の資金を使って株の売買で儲かったらそれを養護施設で育った子供たちのために奨学資金財団を設立することが「夢」
1979年の同和鉱業では安値で買い集めることは出来たが、高値で売り抜けることが出来なかった。じっくり少しずつ8000万株を安値の時から買い上げていく。

そして高値になった時に売る。しかし100万株以上の単位で売りに出すと値が下がってしまう。焦れば焦るほど安値になってしまう。全て自己資金で8000万株を持っているのであれば長期戦も出来るが、実際は1/10位800万株の資金で買い集めたもの。それは借金その返済に追われて、かつ売るに売れない状態に。同和鉱業では失敗。
1982年の不二家、1983年の丸善石油、平和不動産の株買い占め、仕手戦で名前が知られた。最も良く知られたものは1981年から1982年にかけての住友金属鉱山の仕手戦であった。

鴻之舞金山の金鉱の驚異的な金の含有率(日経新聞の記事)に注目した佐久間平蔵が住友金属鉱山の株を買い占めていくさま、そして天井の少し前に売り抜ける手際の良さを克明に描かれている。津本陽の筆が冴える作品だと思う。