投稿者 スレッド: 平明・静謐・孤高-長谷川りん二郎(はせがわりんじろう)展  (参照数 635 回)

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平明・静謐・孤高-長谷川りん二郎(はせがわりんじろう)展
平塚市美術館で長谷川リン二郎(りんの字表示できない)展を13日までやっています。
兄は林不忘(丹下左膳の作者)弟2人も文学者というりん二郎。作品は一部の知る人ぞ知るといったところで殆どの人はしらないのではないかと思います。私もこの展覧会の案内で初めて知りました。

何年もかけ、納得いくまで観察しないと描かない寡作、孤高ともいえる制作態度。「猫」という作品がありますが、6年の歳月をかけて観察していたら、「猫」が死んでしまったので未完。でも凄い作品です。静物、薔薇、風景画どれをとってもこの世のものではないような作品。写実的ではあるが、そこからエッセンスだけが出てきた。存在感がないようでいて、自己主張をしない。でもじっくり見ているとなんとなく気になる。

不思議な作品。透明と不透明のアンバランス、微妙な美しさが感じられる作品です。ちょっと注目してみたい画家です。色と光の魔術師(それも平板な感じ、土の色が一番美しい)5月の土が良いと。月、年によって土の色、描く対象物は違うから、何年もかけて描くので仕事がのろいのだと。林檎を描いていながら何回も何回も描き直すので、また林檎を買ってこようと呟いている。これから話題になる画家ではないかと思います。機会があったら観て下さい。

平明・静謐・孤高-長谷川りん二郎(はせがわりんじろう)展
2010年4月17日(土)~6月13日(日) 
平塚市美術館/企画展示
http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/art-muse/2010202.htm

作品の展示されている途中にこんな案内文が。
私は彼の言う通り目の前にあるものを描く。しかし、それは実物によって生まれる内部の感動を描くのが目的ですから、実物を描いている、とは言えません。つまり私が描いているのは実物ではありません。しかし、それは実物なしでは生まれない世界です。
この間の事情は外部の人には一寸判りにくい所があると思います。一番重要なことは、描く前の心の在り方だ。
目前にあるものが美に輝く時、それは神秘の世界から現れた贈物のように見える。洲之内氏が私の画を「この世のものとは思われない趣さえある」と言う時、私の気持ちを他の方向から感知していると思う。私の考えでは、「この世のものとは思われない」のは目前の現実で、目前にある現実が、「この世のものとは思われない」ような美に輝いている事実です。