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日常茶飯事
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 12:27:10 pm »
書名:日常茶飯事
著者:山本夏彦
出版社:新潮社
発行年月日:2003/8/1
価格:438円+税

山本夏彦、非常にユニーク?いや毒弁の論者。世の中で起こることは原稿用紙
3枚で書きあらわせないことがない。と言っている。また山本夏彦ほどデビュ
ー当時から現在に至るまで、主義主張の一貫している人はない。(全く進歩が
無いのか???)
 この日常茶飯事も昭和30年代の作品である。ただ今読んでも十分通用する
ユニークさがある。現在の科学技術の進歩を暴挙、あるいは愚挙と切ってしま
う爽快さがある。また今まで行ってきた人間の営みを練りに練って考えていけ
ば50語でまとめることができると。共産主義も民主主義も、宗教も科学も、
この山本夏彦に掛かると同じになってしまう。いろいろな修飾語、形容詞をと
ってスリムにしていくと意外と本質は50語位なものかもしれないという気に
させてくれる。屁理屈の上に屁理屈と重ねて複雑怪奇にしているのかも。
 一言で言えばと言われたとき、その一言が出てこないが、ほとんど一言で終
わるのでは。
 読むたびに新しい発見のある楽しい本である。

(本書より引用)
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スピードきちがい
交通機関の発達こそ、諸悪の根源だとかねて私は信じている、それについては
すでになん度か触れたから、ここでは手短に話す。
 かりに、東海道五十三次を、昔一ヶ月かかって旅したとする。それを旧式の
汽車が、一日に縮めたとする。新式が半日に、もっと新式が四時間に、さらに
ーーーーとくればこれはもう止めどがない。
 結局、東京大阪間の時間を人は「無」にしたいのである。四時間を二時間に
、二時間をゼロにするのが、進歩だ、科学だと小学生にまで教える位だもの、
教える当人は固く信じているに違いない。その点はソ連人もアメリカ人も同様
である。この二大国の思想は、ことごとに反対だといわれているが、根底は同
一だと私は見ている。
 東京大阪間の所要時間を、なぜ無に近くしたいのか、それは元来、我々の脳
ミソ中に「時間」が存在しないためだと、すでに私は巴里の恋人に譬えて話し
た。巴里も京都も同じ事だ。京都の人を思えばたちまち京都へ飛ぶ。ところが
肉体だけは東京に残るから、当人は怪訝だし、不本意だし、間違っていると思
うのは当然である。だから、誰しも、その時間を短縮しようとする。
 昔は自分の二本の足で、次いで馬や駕籠で、つまり他人の足で、走ったり、
走らせたりしたが、いくら急いでもたかは知れている。だから動物性の足の利
用はあきらめて、無機物からなるメカニズムを発明したのである。
 発明したのが運の尽きである。以来、それは速力のコンクールになった。人
類は競争するつもりでも、それが競争ならないことはいつぞや自動車を例に述
べた。一戸に一台はおろか、一人が一台を所有すれば生活のペース(足並み)
は自動車の速度と同じになる。歩いて一時間かかったところを、自動車で七分
としてみなさん七分で走れば、歩いた昔と同じで、発明しただけで損だと言っ
た。神々が天から覗いてみれば、近頃下界の人間どもは、何だかちょこまかが
歩いているよと曰う位が関の山だ。
 脳ミソの一とびに比べれば、弾丸列車ももの数ではない。さらばと、ジェッ
ト機やら、ロケットやらをこしらえて、再び進歩だ科学だ近代だと言うのはも
ういい加減にしてはどうか。

これを後ろ向きの意見だと笑う者があることは、承知している。交通機関の例
だけだは納得出来ないだろうから、これと表裏して発達した報道機関について
言う。
 報道機関のスピード狂の一方の旗頭である。すなわち、新聞はなりより迅速
を尊ぶ。昔四十七士の討ち入りは江戸中に知れ渡るには二、三日かかった。日
本中に知れ渡るには三月か半年かかった。近代のジャーナリズムは、その時間
を短くした。三月を三日に、三日を一日に縮めた。その競争ははげしく、A社
が夕刊で報じた事件を、B社が遅れて朝刊にのせれば、その責任を問われるほ
どだという。事件と報道の時間をむやみと短縮しようと争うのは、言うまでも
なくスピードきちがいである。

 中略

ジャーナリズムの理想は、事件に追いついて、それを追い越すことにある。た
とい短時間でも、そこに時間が介在すれば、どんな邪魔が入るか知れない。だ
から本当は事件の直前にその場にいたいのである。
 中略

私は古人も今人も、野次馬であることを否定するものではない。ただ赤穂浪士
の討ち入りは一ヶ月かかって承知してもいいと思うものである。元禄の昔の野
次馬の満足より、今日の野次馬の満足の方が、より満足だと思わないだけの話
である。そこに何の相違があるのか。 
 ロケットをとばし、怪電波をとばし、あらゆる速力を増すことを私は科学の
勝利、人類の壮挙とみない。かえって暴挙、あるいは愚挙とみている。
(p226-231)