投稿者 スレッド: 空蝉の花 池坊の異端児・大住院以信  (参照数 398 回)

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空蝉の花 池坊の異端児・大住院以信
« 投稿日:: 3月 27, 2013, 10:31:19 pm »
書名:空蝉の花 池坊の異端児・大住院以信
著者:澤田 ふじ子
発行所:新潮社
発行年月日:1990/5/30
ページ:402頁
定価:1505 円+ 税

世は英雄待望論、スーパースター待望、能力があればどんどん登用すべしという風潮があるが、江戸時代の初めには全く違ったロジックに支配されていた。社会をある秩序によって管理していくという幕藩体制の中で、武士階級ばかりでなく芸能、文化、庶民にまで広がってきた権威による。血統を重んじる風潮が芽生えようとしていた時代の物語です。

徳川幕府は大御所家康の裁断で、長子の家督相続を三代家光において明確にし、家系の維持を幕藩体制の基礎に置いた。御用絵師狩野家はいち早くこの体制にかなう作画の理念を打ち出し、家系の安全永続を策している。狩野安信の「画道要訣」がそれである。絵には天性の才能にまかせて描く「質画」と、稽古を重ねたすえ会得する「学画」の2つがあり、質画は個人の才能に負うもので一代で終わるが、一定の画法を基本にした学画は万代不易の道をそなえ、いつまでも子孫に伝達出来ると説いた。

池坊と言えば華道の家元。この家元の制度は京都所司代板倉重宗、松平伊豆守信綱(知恵伊豆)が積極的に推し進めていた政策で、特に松平伊豆守信綱は本阿弥光悦の影響を大きく受けていると言われている。江戸初期、池坊法院である二代専好にその類い希なる才能を見いだされた平蔵(大住院以信)は
法院継職を目指し、あらゆるいやがらせに耐え、日々精進を重ねていた。戦国時代は実力主義の時代、しかし世の中が落ち着いてくると血脈主義へと大きく転換していた。遅れてきた不世出の立花師大住院以信に襲いかかる波瀾万丈の生涯を描いている。なかなかの力作です。

お金が世の中になって段々個人主義の時代の現代から見ると、実力主義が当然という気もしますが、人類の継続、国の継続、家族の継続、人々の生活の継続、人々の幸せの継続という長い長い目で見ると血脈主義、継続する仕組みとしてはひとつの方法だった。持続可能な社会なんていま騒がれているが、江戸時代初期にそれを必死に考え実行した先人を見る思いもする。

現代でもお茶、華道、舞踊、歌舞伎、能、囲碁、将棋等家元制度と仕組みを400年の長きに渡って継続している。この仕組みに持続可能なヒントが隠されているのかもしれない。いまが良ければ、良いという考えで導入された能力主義、株式会社(資本を持ったものが議決権を持っている)も持続可能か?強固な要塞を攻めるのに兵隊が一人一人突撃していく。そして死んでしまう。次々能力のある人を投入して結果的に玉砕してしまう。人はいくらでもいる。人を粗末に扱う。こんなことは長く続けていけるものではないと思う。この本を読みながらそんなことを考えてしまった。