投稿者 スレッド: 妻と僕 寓話と化す我らの死  (参照数 410 回)

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妻と僕 寓話と化す我らの死
« 投稿日:: 3月 01, 2013, 07:42:32 pm »
書名:妻と僕 寓話と化す我らの死
著者:西部 邁
発行所:飛鳥新社
発行年月日:2008/7/26
ページ:245頁
定価:1700円+税

西部 邁は60年安保の頃はセクトの活動家、何回か留置場にもその後左翼から足を
洗った活動家。この本は重症のガンに冒され、死の淵に立つ妻。と著者の2人の対
話。生と死を見つめ、女とは、男とは、夫婦とは、祖国とは、国家とは、人生と
は何かを、直前に迫る死を睨みながら冷静に深く深く考えている。高校時代16才
で出会った二人、共に年月を重ねて来て、片割れの死を前に、著者が自問自答す
る。夫婦として存在した二人、その一方を失うことは?、著者の本音も垣間見る
ことが出来る。著者の言動は何かと世間を騒がしてきたし、これからも騒がせる
だろうが、この本は名著だと思う。

本書より
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正義の過剰は横暴であり、思慮の過剰は卑怯でありましょう。勇気の過剰は野蛮
、節制の過剰は臆病、ということになります。-中略- 自由の過剰は放縦、平等
の過剰は画一、博愛の過剰は偽善となります。それを押し通すのが理想「主義」
の鼻持ちならぬところです。同時に、秩序の過剰は抑圧、格差の過剰は差別、競
合の過剰は酷薄となります。そうなることに無頓着なのが現実「主義」の嫌らし
さと言って良いでしょう。

エドマンド・パークいわく、「国民のための権利は盛大に認めるが、人間の権利
などは冗談にすぎない。なぜなら、権利と対になる義務は、各国の国柄によって
異なっているから」