投稿者 スレッド: 逆説の日本史15 近世改革編 官僚政治と吉宗の謎   (参照数 298 回)

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逆説の日本史15 近世改革編 官僚政治と吉宗の謎 
« 投稿日:: 3月 01, 2013, 06:12:55 pm »
書名:逆説の日本史15 近世改革編
   官僚政治と吉宗の謎 
著者:井沢 元彦
発行所:小学館
発行年月日:2008/8/3
ページ:409頁
定価:1600 円+ 税

今まで時代劇ではヒーローと呼ばれていた吉宗、松平定信など、逆に悪役といわ
れた田沼意次、徳川宗春それとは全く逆の評価をしている。江戸時代は朱子学(
儒教)が盛んで、商人などは軽蔑の対象、それに比べて孝が重んじられた時代。
先代の行った事(前例)を大切にして先祖返りが重んじられた。

そんな中で吉宗、松平定信などは評価され、農業からだけではなく商人から税金
を取ろうとして田沼意次、節約は支配者階級のものがすることで、庶民は贅沢し
てお金を回さないといけないと自らそれを行った徳川宗春。米を基軸通貨として1
石=1両(少しの変動があったが)の固定相場。実はここに凄い矛盾があった。

お米を増産して沢山収穫すると、米で給金を貰っている武士は米の価値が下がっ
て(インフレ)しまう。逆に米が取れなくなって高くなると価値は上がるが、米
が買えなくなってしまう。そんな矛盾を解決しようとして貨幣の改鋳した政策は
実は今のお札のように、米が沢山取れたときには貨幣を多くしてデフレ政策、逆
の時はインフレ政策を実現しようとした先駆的な人たちもいた。田沼意次、徳川
宗春などはその先駆者。

今までの定説とはかなり違った見方。なかなか面白い、松平定信は国元の人々が
冷害で飢え死にしそうになったとき、他国から米を買い占めて一人の死者も出さ
なかったことで、幕府の老中に。でも一藩の藩主であれば自藩のことだけ、その
他の藩はお構いなしでも良いけれど、幕府の要人として不合格。同じ時期の上杉
鷹山は冷害に備えて備蓄をして豊かな所から買い上げた。

ところで天明の飢饉以後は冷害で餓死者が出たのは東北、北陸地方だけになった
。この頃に青木昆陽で有名な「からいも」サツマイモが全国的に作られるように
なった。この効果が大きい。ところで日本から餓死者が無くなったのは昭和の10
年前後農林一号というお米が作られるようになってはじめて東北、北陸地方でも
美味しいお米、寒さに強い米が出来たことによるとのこと。この農林一号の系譜
からコシヒカリ、ササニシキなどが生まれて新潟などが米所になった。

江戸はどうして火事が多いのだろう。1601年から1867年に至る267年間に、江戸で
は49回もの大火が発生した。267年間で京都が9回、大阪が6回、金沢が3回。また
大火以外の火事も含めれば267年間で1798回。4~5年に一回大火が発生している計
算になる。「火事と喧嘩は江戸の華」はやけくそでいっているのかも。武家屋敷
は大きな敷地で、庶民の住む場所は混雑していたのか。人口密度がかなり高かっ
た。「空っ風」のせい。同じように京都大阪も人口密度は高かった。これはちょ
っと謎です。

この逆説の日本史を読んでいると自分なりにいろいろと疑問が出て来る。歴史学
会の資料至上主義に反発している井沢の歴史学の信条は資料に無いところは知恵
を働かせと。資料は後の人が残している。その行間を自分の知恵で読めと言って
いる。