二宮尊徳語録
人間には物財よりもはるかに重要なものがある。それは心底からのこころの喜び
である。金よりも仕事そのものから得られる喜びである。
天が人間に保証する最低限度の生活以上を望めば、そこに他人との争いや脅迫や
詐欺やだましという醜い修羅場が展開する。それが人間の生活を毒してゆく。そ
んなことよりも、ものを育て、こつこつ努力して得られる天与の喜びを受けた方
がどれほど人生を豊かにし楽しいものにするか計り知れない。
天与の小さな種を蒔いて育ててゆけば、必ず花ひらき実を結ぶ。それだけではな
く何倍かになって返ってくる。この原理は、小を積んで大となす、とか山に登る
にも最初の一歩から、と誰でも知っていることである。しかしこれを実行する人
はいない。その実行には、計り知れない根気と熱意が必要だからである。
彼の言の多くは常識的教訓の範囲を出ず、当たり前のことばかりである。しかし
、ひとたび彼の口から発せられるとき、それは、彼自身の実体験から出た言葉だ
からである。自分は暖衣飽食していて人に節約を説く者の言とは自ら異なる。
さて世の中に貧富があるのは、たとえば人に男女があるようなもので、それが天
理なのだ。男女がいないことはありえないように、貧富がないこともありえない
。なぜかといえば、この世界は三世にわたって因果応報があって、こちらの因果
によって貧に生まれるものがあれば富にうまれるものもあるし、あちらの応報に
よって富者が貧者になったり、貧者が富者になったりする。ところで世の中に男
女の道がある以上は、貧富和合の道もなければならぬ。
男にはおのずから余ったところがあり、女にはおのずから足りないところがあり
、有余が不足を補うという天理が行われて子孫が生育する。この道が天地開闢の
道だからである。この道理に基づくときは、富者は貧者に和合しないわけにはゆ
かぬ。貧者は富者に和合しないわかにはゆかぬ。それが天理であることが明らか
である。
草木の葉が茂り、花が咲き、実が実りやがて自然と土に還るように人間も営々と
して働き、将来へ受け継ぎ、受け渡してゆくべきもの。
人間は個人としては何ら意義のないものであり、幾代もの永い連鎖の一つの環に
過ぎず、大自然のうちに増減することのない一片に過ぎない。