間抜けな時代
今日、BS2で昔のテレビドラマを紹介していた。大河ドラマ「天と地と」、「
巨人の星」「白い巨塔」など。懐かしく見ていました。20~30年前はまだ
ドラマに間があった特に信玄と謙信などの合戦の場面でも信玄を写しながら、
謙信のことをじっくりと考える(思い至る)余裕(間)、想像する間がとって
あったように思う。最近のドラマでは間はどこかにいってしまってすぐに分か
るように余計な説明をいれて、想像する、考えるという時間を省略してしまっ
ているように感じた。
説明するのは上手くなった。また理解してもらえるように話すのも上手くな
った。すぐ聞いてすぐ分かるようになったが、すぐ忘れてしまう。後には何も
残っていない。ということが多くなったように思う。これは講演会、読書、ド
ラマ、映画、論文発表会なども同じで間が無くなった。間抜けな時代の到来か
もしれない。
世の中で簡単に説明して理解できることは非常に少ないように思うのですが、
何でも説明できると思っている人が多くなってきているのでは?説明責任とい
う言葉もひとり歩きもその原因になっているのでは?
たまには間延びした間のあるドラマも良いものかなという気がした。今「最
澄」という本(著者栗田勇)約600ページ(3分冊)を読み始めた。これが何
とものんびりとした奈良時代、平安時代の風景を描きながら当時の歴史なども
鳥瞰させてくれる。大仏の開眼供養、鑑真和上の渡来、なぜ渡海に失敗したの
か。当時でも失敗率が高すぎるその背景に新羅、百済、唐の黒幕の動きなどい
ろいろと考えさせてくれる。結論を急がないゆっくりした筆運びにも好感が持
てる。たまにはじっくりと読むのも良いかなと思う。
速いテンポの流れだけというのは良くないみたい。どんどん速くなっている
時代。速さに価値を認めるだけではなく、遅いことにも価値があることを気付
かされたように思う。分からないことは分からないまま寝かせておくことも必
要、結論を先送ることも必要。一方に偏らないようにしたいものです。