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やがて哀しき外国語
« 投稿日:: 6月 23, 2015, 06:51:21 pm »
書名:やがて哀しき外国語
著者:村上 春樹
発行所:講談社
発行年月日:1994/2/25
ページ:283頁
定価:1359円+税

村上春樹のエッセーです。アメリカのプリンストンに訪れた1991年のはじめから2年半をニュージャージー州のプリンストンで、その後の2年間をマサチューセッツ州のケンブリッジで暮らした。そのプリンストンの暮らしを綴ったのが本書です。村上春樹の小説ほど退屈ではないけれどやっぱり退屈な本、ちょっと同感というところは日本のマラソン大会触れたところ、参加するのに結構前から高い参加料を払って申し込まないといけない。

アメリカなど地方の大会など当日受付てくれる。多分参加者名簿を印刷する時間が必要なのだろう。でも参加者名簿が欲しい人がどれほどいるのか?疑問だと。
またアメリカに出張、出向してくる日本の一流企業の人達のワンパターン、そしてそんな人達が出世する日本の会社にちょっと苦言も。アメリカでも東部のプリンストンあたりはエリートが住む地域、そこの大学の講師をしている村上も、日本からやって来た人たちの中でもエリートと会う機会が増えた。村上の目から見た日本人像にちょっと興味を引かれた。

本書より
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アメリカにいても日本人には会う。プリンストン大学には日本の官庁や企業から派遣されてきた人々が結構いた。面白いことには、彼らの間に一種独特のヒエラルキーが生じていて、それがいかにも日本人のせせこましさを感じさせた、と村上はいう。ヒエラルキーのトップにいるのは中央官庁から派遣された連中で、彼等は日本人同志が集まる席では決まって、自分の共通一次の成績はトップクラスで、大学は東大を出て、こういう官庁のこういうポストについていると、滔々と自慢話をするのだという。彼らを前にすると、東大を出ていても官庁勤めをしていない人たちや、そもそも東大を出ていない人たちは、風下に立たされることになる。しかも風下に立たされて、風上の人々に跪拝すらする。そのことをおかしいと思っていないのだ。そんな光景を見て村上は、「日本は僕が想像していた以上にエリートが幅をきかせている国だったんだ」

「なるほどねえ、これまで知らなかったけれど、こういう人たちが実は日本を動かしていたんだ」と半ばあきれつつ納得することになる。まあ向うだって「なるほどね、こういうバカが作家になって、無知な庶民を騙しているんだ」と思っているのかもしれないけど。