新島八重
・4つのポイント
「ならぬことはならぬ」(故郷・会津の教え)
会津武士(上士)の子は6歳から10歳までの4年間、町を幾つかに地域割した「什」というグループを作っていた。階級差別はなく、"什の誓ひ"(子弟教育7カ条)が会津の人材育成の指針。「ならぬことはならぬもの」という理屈ではない強い教えのもと、八重は、会津の女として育っていく。
「幕末のジャンヌ・ダルク」(仲間の死、故郷の喪失)
鳥羽伏見の戦いで幕府軍は破れ、会津は新政府軍から「逆賊」として扱われる。鶴ヶ城での籠城戦で戦う会津軍と新政府軍との力の差は歴然。女や子供を含め、多くの仲間が次々と死んでいく中、男装し、自ら銃を持ち最後まで奮戦した八重だったが、会津戦争の敗北を自らの中で受け入れていく。
「ハンサムウーマンへ」(不義に生きない女の生き方)
会津戦争の敗北で、全てを失った八重は、京都で「知識」という新たな生きがいを得る。
鉄砲から知識へ。会津のプライドを貫く八重は、京都でも存在感を増し、アメリカで西洋文化に触れた青年・新島襄をも魅了、結婚する。封建的風潮の残る中、男女の平等を望む八重の生きざまを夫・新島襄は「ハンサムウーマン」と称した。
「日本のナイチンゲールへ」(幸せでなくてはならぬ)
会津戦争の原風景が残る八重たちは日清、日露戦争が起こると、仲間とともに篤志看護婦として名乗りをあげる。戦場に女が行くなど考えられなかった時代、八重たちは果敢に行動する。それも「弱者はいたわらなければならぬ」の会津の教え。これにより八重たちは女性初の藍綬褒章受章を受ける。
■「什の誓ひ」(じゅうのちかい)とは
会津の人材育成の指針だったのが、階級差別のない"什の誓ひ"(子弟教育7カ条)。
「ならぬことはならぬもの」という理屈ではない強い教えこそが、「会津武士」の気質であり、私欲で道理を曲げない人間を形成したと言われている。
一、年長者の言ふことには背いてはなりませぬ。
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ。
一、虚言(ウソ)を言ふ事はなりませぬ。
一、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。
一、弱いものをいぢめてはなりませぬ。
一、戸外でモノを食べてはなりませぬ。
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ。
ならぬことはならぬものです。