投稿者 スレッド: 田村明の闘い 横浜(市民の政府)をめざして  (参照数 448 回)

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田村明の闘い 横浜(市民の政府)をめざして
« 投稿日:: 1月 30, 2014, 01:30:48 pm »
書名:田村明の闘い 横浜(市民の政府)をめざして
著者:田村 明
発行所:学芸出版社
発行年月日:2006/12/10
ページ:383頁
定価:3200円+税

約40年前にこんな都市プランナーが横浜市にいた。「市民的まちづくりの実践記」革新市長、飛鳥田一雄に招かれて横浜市の「まちづくり」の現場で戦い続けた軌跡を自ら振り返った書です。凄く迫力がある本です。
すべてが初めて尽くしだった。従来の中央官庁の顔色ばかりを窺(うかが)い、全国一律の法律、制度に従うだけの無策の都市行政の中、「市民の政府」をめざし次々と知恵を絞る。憲法→法律→条例→要綱、協定、覚書、要綱以下は法律的な強制力はないが、お願いという形で進めていく。公害、土地開発など法律を作ってやるには時間的に間に合わない。乱開発は止められない。そんなとき要綱で「お願いする」官製の都市計画ではなく、ソフトを含めた柔軟で市民的な「まちづくり」と可能性が示されている。
首都高速の羽田からの延長、立体交差で大通公園の上を通すことに決まっていた。それを景観、使い勝手から地下化、半地下化に変更させる。この闘いなど常に国の役人、市の関連部門との間のやり取りなど当時(いや今でも)の状況を良く反映している。なんでも縦割り行政、総合的に企画実行するところはない。企画調整する機能は地方字自体でないと出来ないという強い信念、国で決まったことでも市民にとって悪いことなら、「市民の政府」として行動する。現場は待っていられない。と八面六臂の活躍、それも学者ではなく実際にことに当たった当事者の生の声が凄い迫力をもって迫ってくる。

40年前に都市のデザインを考え、環境を考え、緑を保全、都市農業(飛鳥田の命名とか)を創設して常に先進的に地方自治とまちづくりを考えてきた横浜市にひとりの都市プランナーがいた。

みなとみらい地区の開発、金沢沖の埋め立て、港北ニュータウンの開発、横浜西口・東口の開発、元町商店街等の基本デザインに携わって、横浜らしい戦略プロジェクトを次々構想した田村氏、その軌跡がよく分かる本です。当時関わった人たちが実名で登場します。

みなとみらい、元町商店街等、人気の場を実現する一方、横浜市は乱開発から緑を守り、都市農業を創設し、環境保全でも常に先進的だったのがよくわかる。権威主義の中央官庁や開発利益を求める企業と真っ向から闘い、柔軟な知恵と巧みな技で多くの成果をだしている。この本と現在の横浜と比較していくと田村氏の構想がどれだけ実現したか?出来なかったかが検証できる。桜木町の三菱重工、国鉄の貨物基地を操業中であるにも関わらず移転させて「みなとみらい」を開発した。

将来の横浜のためにはやらねばならない仕事、金沢沖でも単なる工業団地ではなく、海の公園、海で市民が楽しめるという視点、港北ニュータウンも乱開発を止める。東京のベッドタウンとはしない。東京へ直通で繋がる鉄道は作らない。そんな基本方針を愚直なまでに信念をもって妥協せず次々を案を考え、人を巻き込みながら、強力に進めていくこのど迫力は驚がくする。たんなる土建屋、土木屋的な発想ではなく文化、芸術にも配慮している。若い頃大阪に住んでいて、京都、奈良、神戸などのまちの風景、芸術、文化に触れていた経験も生かされている。

横浜はペリー来航とともに開けた新開地、そして関東大震災で壊滅的な被害を受け、太平洋戦争の空襲で再び壊滅的な被害、戦後進駐軍に関内他が接収されて、1951年のサンフランシスコ講和条約後、順次撤収して、ほぼ返還されたのは本牧地区が返還されたとき。したがって著者が横浜市に在籍していた頃は関内などは返還されて、ぺんぺん草が生えていた頃だったと回想しています。横浜の現代史という視点からも参考になる本です。新橋横浜間に汽車が走った横浜とは今の桜木町駅(横浜)、したがって盛り場も関内、伊勢佐木町、馬車道あたり、でも戦後接収されていたので、単なる通過駅だった横浜の西口が急速に開発されていく高島屋、ダイヤモンド地下街、東口は国道1号線を越えてスカイビルが1棟そしてかつての伊勢佐木町などより横浜駅周辺の方が賑やかなところになっている。
「地方自治とまちづくりを考える」とき絶対読んでおきたい一冊です。

興味あることが次々と出てくるので一気に読んでしまいました。この中に権威主義の官僚、横浜市の職員の事なかれ主義、セクション主義、縦割り行政、硬直した組織の悪しき例が出てきますが、現在もまたこの事なかれ主義が蔓延ってきているのではという気もします。また慣例主義、権威主義、管理という名のもとに自分に反対しない、云うことを聞く人がいい人。的人事、考えが蔓延っているのでは?異質な人々を排除することがまかり通ってきているような感じもします。

この本の中で車の標識はあるが、歩行者のための標識の必要性を強調しています。(人の歩く速さに合わせた間隔で)また景観についてもベイブリッジをレンガ倉庫から見ようとすると大桟橋が邪魔している。こんな設計誰がしたの。一つ一つの建物、建造物が最適でも、全体として最適だとは限らない。大桟橋にホールを作ったため高さが高くなってしまった。またベイブリッジの高さも現在を見越したつもりだったが、今の客船は54メートル以上のものが次々と就航している。大桟橋に入ってこられなくて、大黒桟橋にやむなく係留している。

都市計画のマスタープランよりマスタープロジェクトだといっている。マスタープランは机上の空論、市民を見ていない。マスタープロジェクトは実現、実践するもの市民を見た、実現するための手法を駆使しないと出来ないものと言っている。

よりよい「まちづくり」のノウハウが一杯詰まっている本です。今でも充分通用する事例も一杯です。