投稿者 スレッド: つれづれなる(3)  (参照数 4434 回)

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つれづれなる(3)
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 12:39:24 am »
挑戦の意気込み、可能性の肯定、会社への自己議性的な献身

「うちで一番いい奴はでしゃばって成功した人、次はでしゃばって失敗した人、まん中が余り努力せずに成功した人、その次は何もせず失敗も成功もしなかった人、最低が何もせず失敗した人と言うことです。」

40代の生き方について考えてみると、どうも、得意なものをより伸ばしていくというのは難しそうである。ここまで生きてくると、得手不得手が判ってくるものである。従って得手なものについてはだいぶ一生懸命にやってきた気がする。しかし不得手なものは余り熱心にやっていないような気がする。これからはどうも不得手であった物に取り組むべき時かも知れない。10年を単位に物事を考えると少しまともなことができるような気がする。苦手なことに挑戦しよう。

 今までの日本で特に重視されてきたものに、「効率」「平等」「安全」がある。逆に言えばこの3つを常に追い求めてきたきらいがある。何にもまして効率、平等、安全に最重点をおいて国を運営してきた。第2次世界大戦直前のコンセプトを約50年にわたって追求してきた「昭和16年体制」を構築してきた。そしてそれは非常に成功してきたといえる。しかし、いま振り返ってみるとこのようなコンセプトだけが世界の中で普遍的なものというわけには行かない。また、世界の各国に認めさせることも困難なことである。これからは今までのコンセプトから大きく変革をしないといけないところにきている。特に、「選択の自由」「生活の楽しみ」、「結果の平等」から「機会の平等」への転換すべき時にきているように思う。新しいコンセプトを構築して方向を転換すべきである。そこには「選択の自由」「生活の楽しみ」ということが最優先されないといけない。「効率」「安全」「平等」の3点を犠牲にしてもという決意が必要である。
  結果の平等を追求するあまり能力のある人にはやる気を無くしてしまう弊害、既得権者に対する手厚い保護、アメリカから出される貿易に対する各種要求(条件)に何が問題になっているのか正確な理解無しに対応することによる弊害、いろいろな問題の原点は世界と日本のコンセプトが全く違っているという現状認識の甘さにあると思う。
  「効率」「安全」「平等」を追求していくことで「頭」を1点にするという東京一極集中というのは非常に良くできた仕組みであり、全てを1点に集め、1点で判断し、1点で指示をするという仕組みは世界のリーダーを追い求めるときはよい仕組みであった。しかし、これからは逆に世界のリーダーにならなければいけないときはまた違った対応方法を考えないといけない。
  共産主義が崩壊して、冷戦構造がなくなったいま西側諸国が一つにまとまって何かに対抗しないといけないという大義名分はなくなってしまったということに十分注意する必要がある。世界の国々がブロック単位の構造になってしまう恐れは十分考えられる。日本という国とつきあっていなくても別に困らないと各国が思ったとき世界の孤児となる恐れがある。

  これからの商売は世界の先進国の人々を対象にした6億人市場を狙うべきである。日本国内に普及させてから、次は世界へという方向は間違いである。世界同時に市場にアクセスしないといけない。いま、世界の6億人は非常に似た消費行動をとる人たちであるということを十分肝に命じるべきだ。世界150カ国を平等にというような考え方はいけない。核となるべき国、技術、市場というものを先進国におくべきである。ヨーロッパ、アメリカ、アジアを中心に物事を考えていかなければならない。

  大量生産大量消費という環境の中で個性を大切に、という歌い文句は非常に矛盾した考え方である。と言うのは規格が統一された物を大量に造り、大量に売るためのシステムが個人レベルでの趣味、嗜好に合わせるようにするということはできない。したがって今までのコンセプトのままでこれからを生きていこうとすると非常に矛盾した中でいきをしなくてはならない。また、大量生産というのが人々の全てに幸福をもたらすとは限らなくなってしまった。それよりは小量であっても各個人が価値を認めるもの、そんなものに人々の幸福感は広がっている。

 これからの時代は「選択の自由」があって各個人が独自の価値観に基づいて行動できる世界を求めるようになっている。「生活の楽しみ」を実感できる世界を構築して行ける仕組みを考えないといけなくなってきている。したがって、今までのように、農業、漁業、小売商店等の既得権を守るためだけの政府ではなく、消費者の立場にたった議論が展開されないといけない。

  また、数の論理で展開される民主主義についても考え直すときがきているように思う。賛成者が多いからといって必ず正しいとは限らない。普通の会社の場合と一緒で未来に対する決断というのはトップダウン的に決定する必要がある。将来どうなるか判らない中でみんなの仲良しクラブで多数決で決定しようと言うのは今のところやむを得ないかも知れないが絶対ではない。

  今の日本の政治を動かしているのは選挙で選ばれた議員ではなく試験に受かった高級官僚である。そしてそれらの高級官僚は決して選挙でやめさせられることがない。こんな不思議なことにだれも疑問を持たず、国会が運営されている変な国これが日本の本当の姿である。本来選挙で選ばれた人たちが十分議論を尽くす場である国会が単なる形式機関に過ぎない。これが真の民主主義であると言うのはおかしい。

  小数意見が無視される事なく十分議論できる状態というのはどういう仕組みにすれば可能なのか?非常に難しいが重要な問題である。

 90年代に予想されること
  ・石油価格の高騰(石油価格の下落で量産意欲減退OPEC各国)
  ・冷戦後の世界のグループ編成替え(東側、西側という枠組みから別の枠組みへ)
  ・生産財物価高資本財価値下落(消費財の物価高、土地、株の暴落)
  ・石油ショック時代に似た現状
 戦略的思考を考えると、いろいろな場面において絶対的に競争にかつ必要はなく、ライバルに対して相対的に勝てば良いということを肝に命じておかなければならない。したがって競争相手の動向に対して常にアンテナを張って情報収集に努めないといけない。またその情報を十分分析して核となるべき問題点を捕らえるように努めないといけない。そしでいま自分が持っているいろいろな人、物、金の資源をどう分配するかということにちゅいを払わないといけない。相手に対して全ての点で上位に立とうということは非常に困難である。従って何に重点をおくかということを考えるべきである。これが非常に難しい問題である。どんな仕事に対しても同じ事がいえると思う。余り欲張らずにまた絶対的優位に立とうと考えず、1点のみを強調した方が成功を確立が高い。人とは違う何か、他社とは違う何か、その中で技術というのはただ一つの要素に過ぎない。技術のみでなんとかなると言うのは自己満足に過ぎない。


・戦略的思考法について
  今までの常識をまず疑ってかかる。現状の常識というものを疑って、改善策を考える。例えば、白熱球はねじ込まないと使えないのか?  球が切れたときすぐ取り替えようとするとなぜ火傷をするのか?いままで当り前の事として無視していたことをもう一度考え直そう。
  戦略というのは基本的に競争相手があってはじめて立てるものであるということを忘れてはならない。競争相手がなければあくまで改良、改革、改善である。
  そして、戦略の基本的姿勢は何事もすべて総花的に競争相手に勝とうとしてはいけない。また、絶対的基準において勝とうとしてはいけない。ほんの少し相対的に勝てば良い。
 そして戦略を立てる上で注意しないといけないのは相手に対して自分のところのどういう部分が優位であり、どういう部分が劣っているかということを十分分析した上で、相手に対して1つまたは2つぐらいに絞って手を打たないといけない。ポイントを狭く絞り込める訓練をすること。