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真夏の島に咲く花は
« 投稿日:: 10月 16, 2013, 08:23:42 pm »
書名:真夏の島に咲く花は
著者:垣根 涼介
発行所:講談社
発行年月日:2006/10/10
ページ:393頁
定価:1700円+税

東経西経180度に位置する世界一早く朝を迎え、世界一遅く夜が更ける南の島フィジー。2000年のフィジーのクーデター事件を背景に、4人の若者たちの人種を越えた恋愛、友情を描き、幸せの意味を問う作品。陽気で大柄、機嫌悪くなるのは空腹時と眠い時、そんな典型的フィジー人とつきあう茜。良昭は店の従業員に「お客様の料理を食べてはいけません」と教えなくてはならない。ここは独特の文化と時間が流れる楽園なのだ。しかし、若者たちのすれ違い、住民の対立、暴動が彼らの人生を変えていく。幸せとは何か。

南の島フィジーを舞台にフィジー人と日本人、インド人、中国人の若者たちがあるクーデター事件をきっかけとして暴動を起こしてしまう。陽気でまったくビジネスに向かないフィジー人、勤勉な日本人と冷めた感覚でがめつく稼ぐ中国人。人口を増やし、フィジーにおける地位をますます高めていくインド人。それらが相まって自分たちの特性を出しながら生きている。そんな世界を描いている。なかなか面白い。

本書より
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良昭もサティーも日本人、インド人という人種の違いはあれ、広い意味では文明圏共通の価値観を持つ人間として一括りにされる。勤勉であること、約束を守ること、お互いに助け合うこと、などなどを美徳として捉える価値観だ。
    (中略)
しかし最近になって、ようやく分かってきた。
それらの約束事は文明圏共通の美徳ではあっても、人類共通の美徳ではない。

勤勉であること。約束を守ること。お互いを助け合うこと。それらの根底にある思想は、飢えへの恐怖だ。飢えを知るからこそ、勤勉さと相互扶助の精神が尊ばれ、さらにその関心が効率的な生産活動や食料備蓄という側面にまで高まってきたとき、重要な約束事や貨幣経済が生まれる。

つまり、これらの美徳は、飢えへの回避という要因から発した後天的なものに過ぎない。
だが、働かなくても道を歩けば食べ物はいくらでも転がっている社会では、勤勉さや約束遵守の精神はそれほど求められない。
自分たちが物心ついたときから人類共通の美徳として信じきってきた価値観など、それだけのものに過ぎないのだと感じた。
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どうして空を見ることが好きなの。先生は聞いてきた。
分かりません、とチョネは答えた。またみんなが笑った。妙に悲しかった。
自分が好きなことを笑われるのは悲しいものだということを、そのとき初めて感じた。
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今を犠牲にして将来を取るのか。それとも今を楽しんで、将来は貧乏でもいいと覚悟を決めるのか。そもそも、そんな後か先かでの人生の損得を考えること自体、おかしいことなんじゃないだろうか。
生きることは、損得勘定ではないんじゃないかな。
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彼はこう言った。
楽園は、周りの人間と作り上げていくものだよ。場所なんかじゃない。そしてその人間関係がもたらす心の風景だ、と。
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「お金。お金がすべてなんだよ、今は」ラトゥは言った。「大昔はそんなもの必要なかった。お金がなくても、みんな楽しそうに生きていた。わしが子どもだった五十年前は、まだそうだった。テレビがなくても、みんなで砂浜に出ていろんな話をした。ラジカセやCDデッキがなくても、みんなで歌を唄えばよかった。クルマやバスがなくても、そのぶん時間をかけて歩いていけばいいだけの話だった。お金がなくても、みんな幸せだった。でも今は違う。みんな、お金に心を縛られている。いつの間にかそんな世の中になったよ。」