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日本の原発、どこで間違えたか
« 投稿日:: 8月 21, 2013, 05:18:16 pm »
書名:日本の原発、どこで間違えたか
著者:内橋 克人
発行所:朝日新聞出版
発行年月日:2011/4/30
ページ:270頁
定価:1500円+税

福島第一原子力発電所事故からすぐの2011年4月に出版された本ですが、30年ほど前、原発一辺倒時代への初期に、『週刊現代』に連載されたものが『原発への警鐘』(1986年)という文庫本で出版された。その一部を復刻したもの。現在読んでも十分通用する話が多い。ただ放射能の単位が変わっている。(換算して読まないといけないけれど)

著者はこの本の復刻版の序つくられた「原発安全神話」で下記のように述べている。
この国においては,人びとの未来を決める致命的な国家命題に関してさえ,「国民的合意」の形成に努めようとする試みも,政治意思さえも,ほとんど見受けられることはなかった。国の存亡にかかわるエネルギー政策が,原発一辺倒に激しく傾斜していった過程をどれだけの国民が認知し同意していたであろうか。

序 つくられた「原発安全神話」―なぜ、いま『原発への警鐘』を復刻するのか;
第1章 福島第一原発の風景―「万が一」を恐れた住民たち;
第2章 東京電力と原発―福島第一原発はこうしてできた;
第3章 人工放射能の恐怖―「放射線はスロー・デスを招く」;
第4章 「安全」は無視され続けた―「公開ヒアリング」という名の儀式;
第5章 なぜ原発を作り続けるのか―電力会社の「利益」と「体質」

第1章、第2章はアメリカのアイゼンハワー大統領の「原子力の平和利用」宣言を受けて、中曽根康弘、正力松太郎が中心になって強引に原子力発電所を進めていった経緯、国産技術ではなく、外国の原子炉を輸入することで対応したどたばた劇。最初はイギリスから、そして福島第一はアメリカGEから、スペインで実績のある原子炉のはずが、スペインの稼働は大幅に遅れ、福島第一がGEの軽水炉としては
世界初の本格稼働未完成品を導入した。稼働を初めて3年半で大きな事故(原子炉と循環系機器をつなぐパイプ「再循環系バイパス配管」の特殊な箇所に微細なひび割れが発生する)が起きた。この原因の解析と対処に7年掛かった。

金属の破壊については、それまでに、「弾性破壊」「脆性破壊」「低サイクル破壊」の存在は周知であった。しかし第4の破壊「粒界応力腐蝕割れ」という未知の金属破壊が起こっていた。これの原因追及、対策にはいろいろな新しい技術開発も行われた。原子炉には配管類は無数に這い回っているその配管を頑丈なものにするためにステンレス製が使われたがステンレスの組成に問題があった。等当時の建設、稼働に関わる細々したことが述べられている。

第3章はマンクーゾ博士の警告(原子力発電所従業員の被曝とガン死亡についての調査)で「原子力発電は殺人産業」つまり、原発の生み出す人工の放射線がスロー・デスの原因になり、20年、30年後にその結果が出てくるというものだ。またICRPの被曝の基準値がどうして決まったか?等についても詳しい。ここに京都大学原子炉実験所の今中啓二助手(32歳)が出てくる。当時埼玉大学教授だった市川定夫氏の「ムラサキツユクサによる微量放射線の検出」もインタビュー記録として著者は紹介している。市川教授は語る。「アメリカではとっくの昔、沃素が濃縮されることはわかっていた。その後、調べていくにつれ、人工の放射性核種は濃縮するものがいっぱいあることも判明した。それにくらべ、天然のほうは濃縮するものは全然ない、やっとそういう事実がわかったんです」と。

第四章では「公開ヒアリング」のプロセスとそのナマ録(抄録)がまとめられている。実にナマナマしい。陳述人の質問には、ほとんど答えない答え方でまとめる。問題事項を蛸壺式に切り分けて、関連性を無視て回答する、などなど。これがヒアリングといえるのか!という進行状況だ。やはりそうか・・・・。
 ここで著者は「原発によって得られるもの、失うもの、そして奪われるもの-すべてについてわれわれは包み隠すことのない情報を手にし、吟味し、国民的合意のあり方を考えるための材料とする権利を持っているはずである」。30年前のこの主張は、3.11以降、いまもって実現していないのではないか。たとえば、あのSPEEDのデータ一つとっても、事故後の東電からのデータ情報の出し方などを見ると全く変わっていない。このヒヤリングで学者、専門家が全く素人の住民にも議論でも負けていた。今に始まったことではなく、専門家、学者は当時から専門バカだった。

第五章では当時の原発を推進していた敦賀市の高木孝一市長の志賀町で行われた「原発講演会」の録音テープを起こしたもの。原発は金のなる木を吹聴して隣町の志賀町に原発を誘致することを進めている。「敦賀の場合、二号炉のカネが7年間で42億円、(電源三法のカネ)、それに危険なもんじゅは60数億円入ってくると」最後に「その代わりに百年たって片輪が生まれてくるやら、五十年後に生まれた子供が全部、片輪になるやらそれはわかりませんよ。」とんでもない発言をしている。

また最近では大島堅一氏が原発のコストを算出して原発が安いという妄想を消去してくれたが、この本の中でも手に入れにくい情報を駆使してコストの算出をしている。そして通産省の役人に計算方法を確認して認めさせている。それは原発の稼働率70%というあり得ない数字、それを実際の稼働率にすれば原発は安くない。ということを、また事故が起こったときの補償、廃炉の費用、死の灰の処理の問題などにも言及している。

この本を読んで3.11事故以後いろいろ議論されていることはほとんど30年前から問題提起され、そしてそれは全て無視されて、絶対安全神話が作られてきたことが判る。日本という国は太平洋戦争でも情勢によって方針変更が出来ない。(巨艦主義は最後まで)一度決めたことはいつまでも変更しない。今度の事故があっても未だに原発の再稼働?不思議な国だ。「万が一」を恐れる住民たちを前に、「安全」は最初から脇に追いやられていた!? 日本を代表するジャーナリストの渾身のルポルタージュが今、甦る。 270ページほどの本ですが、とてもわかりやすい本です。原発の問題を概観するには非常に良い本だと思う。

本書より
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後述のように原発廃棄を住民投票によって決める─などの選択はおよそ政治志向の範囲内に位置を占めた痕跡さえ認められない。強権的な政治意思を背景に原発エネルギー依存体制に進路をとってきたがゆえに,逆にエネルギー選択の多様性が狭められた。ますます原発に傾斜せざるを得なくなってきた。いま,その咎が自らの身に跳ね返った現実を挙げておかなければならない。「原子力ルネッサンス」との流行語のもと,少なくとも,これまで自然・再生可能エネルギーなどへの技術的可能性も意思も真の意味で開花することはなかった。