投稿者 スレッド: 「反撃能力」賛成過半数 国の在り方が変わるのに皆が浮かれている年の暮れ  (参照数 107 回)

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「反撃能力」賛成過半数 国の在り方が変わるのに皆が浮かれている年の暮れ|日刊ゲンダイDIGITAL
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/316531

コロナ禍による行動規制のない年末年始を迎えるのは3年ぶり。クリスマスマーケットは大賑わいで、各地のイルミネーションには歓喜の声が響いた。新幹線の予約はコロナ前と比べ8割前後まで回復、国内線の飛行機は9割とほぼ元通りだ。故郷で久しぶりに家族水入らずの正月を迎える人もたくさんいるだろう。

 だが、そんな浮かれた年の暮れの一方で、来年の日本は間違いなく国の形が変わる。閣議決定された「防衛政策の大転換」によって、平和国家の土台が崩れ、軍靴の足音が近づいてきていることに、どれほどの人が気づいているのか、理解しているのか。そう危惧せざるを得ないのは、どの世論調査でも専守防衛をかなぐり捨てる「敵基地攻撃能力の保有」についての賛意が半数を超えているからだ。

 週末(23~25日)実施された日経新聞の世論調査もそうだった。岸田内閣の支持率は下がっているのに、「5年間で防衛力を強化する計画」を「支持する」が55%、「支持しない」は36%。「反撃能力の保有決定」については、賛成が60%に上り、反対は31%だった。朝日新聞(17、18日実施)でも、敵基地攻撃能力の保有に賛成が56%、反対は38%だった。

■「反撃」から始まる新たな戦い

 政府は姑息に「反撃能力」と言い換えたが、国際法違反の先制攻撃とみなされかねない敵基地攻撃を世論の多数が是とするなど、正気とは思えない。日経は<世論調査の結果からは戦後の安保政策を転換する方向性に一定の評価がうかがえる>と解説していたが、本当にそうなのだろうか。

 政治評論家の本澤二郎氏が言う。

「世論は自ら情報を持っているわけではないので、当然、メディア報道に左右されます。だから、報道内容によって、世論調査の結果は変わってくる。そうした観点からすると、メディアは『抑止力向上』という政府の言い分を垂れ流すばかりで、敵基地攻撃能力を保有することの意味を正確に伝えているとは思えません。岸田首相は『憲法の範囲内』『専守防衛は堅持する』と言いますが、真に受けることはできない。5年間で総額43兆円という防衛費倍増によって、日本は世界第3位の軍事大国になるのです。憲法9条を持つ国として整合性がつかないことは明らかじゃないですか。メディアはどうしてもっと詳しく分析して報じないのか」

 敵基地攻撃能力について、「安全保障環境が劇的に変化している中で、抑止力の向上が必要だ」と言われれば、ウクライナ侵攻のロシアやミサイル発射を続ける北朝鮮、台湾有事が喧伝される中国を思い浮かべて、「確かにそうだ」となってしまう。そうした庶民の心情は分かる。

 だが、考えてみてほしい。敵基地攻撃とは「やられる前にやってしまえ」ということ。それは太平洋戦争開戦の「真珠湾攻撃」と同じ論理だ。その結果、どうなったか。元外務省国際情報局長の孫崎享氏が本紙のコラム(23日付)で、次のようにズバリ指摘している。
<戦争の歴史で、「敵基地攻撃」が戦術的に最も成功した例として、真珠湾攻撃がある。戦艦、爆撃機などに多大な損傷を与え、米側戦死者は約2400人に上った。確かに「敵基地攻撃」は成功した。しかし当時の日本と米国の国力の差は「1対10」ぐらいの格差があり、結局、日本は軍人212万人、民間人は50万~100万人の死者を出して降伏した>
<つまり「敵基地攻撃」や「反撃」が仮に成功しても、それが終わりではない。そこから新たな戦いが起こるのだ>

 敵基地攻撃能力の保有の先にあるのは戦争なのだが、国民世論は、自分たちに被害が及ぶ恐れを覚悟したうえで「賛成」しているとは到底思えない。それは、敵基地攻撃の本質が国民にきちんと伝わっていないからであり、もっと言えば、岸田政権があえて積極的に伝えようとしていないからなのである。
ミサイルの発射ボタンを押す覚悟はあるのか
3年ぶりの賑わいだが…(C)共同通信社
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「由らしむべし、知らしむべからず」──。日本人はもともとお上に従順な国民性といわれる。国民はただただ為政者のすることに従っていればいいのだ、という手法が安倍政権以降、ますます強化され、今回の防衛政策を巡る議論もその“手口”で進められた。

 大転換と言うのなら、いまの日本にどのくらいのどんな防衛力が必要なのかや、そもそも抑止力とは何なのか、憲法との整合性はあるのかどうか、といった議論から始め、時間をたっぷり取るべきだった。当然、国会での長時間の審議は必須だ。ところが、そうした本質的な議論をスッ飛ばし、国債か増税かの「財源論」にすり替え、問題を矮小化したのである。

 そんな岸田政権の悪辣な手口に積極的に加担したのが大メディアだ。「政府は防衛費増額の財源捻出のため、決算剰余金や税外収入を活用するが、それでも1兆円分不足するため増税が必要」などと報じていたが、ちょっと待ってくれ。財源不足だからとこれまで散々、社会保障費を削ってきたのはどこのどいつだ。

 剰余金があるのなら、健康保険料や雇用保険料の引き上げはおかしい。出生数が80万人を割り込むほどの少子化なのだから、防衛費の前に子育てや教育費を充実させるという選択肢だってあっていい。

 しかし、大メディアは防衛費の財源論の報道にあけくれ、まんまと政権の思うつぼ。それでいて、敵基地攻撃能力の保有とそのための防衛費倍増が決定した途端、「防衛政策の大転換」と翌朝の新聞は1面大見出しである。「えっ、そこまでの大転換なのか」と愕然とした人もいただろう。恐ろしいほどの裏切り行為だ。

 ジャーナリストの鈴木哲夫氏が言う。

「敵基地攻撃能力の保有や防衛費の倍増は、戦後の防衛政策を大転換する話ですから、議論を尽くせば尽くすほど、時間をかければかけるほど、反対論や慎重論、憲法の問題などが出てきて前に進まない。そこで岸田政権は、ロシアのウクライナ侵攻に国民が衝撃を受けているいまが、一気に政策転換する“チャンス”だと捉えたわけです。その進め方も、畳み込むように財源問題に世間の関心を集中させた。メディアは増税項目など防衛費の財源論を徹底的にニュースにしていたけれど、あれは自民党の中の議論に過ぎない。それをあたかも国民や国会を巻き込んだ議論のようにしてしまったメディアの報じ方には問題がありました」

■外交努力の知恵こそ必要

 真の国民的な議論や国会での熟議がなく、庶民はすっかり洗脳されているから、世論調査で「反撃能力」に賛成6割という結果になるのである。

 前出の鈴木哲夫氏は、「私は敵基地攻撃能力を持つことについてどう思うかと問われると、いつも自問自答するのですが……」と言って、こう続けた。

「この問題は、相手が攻撃の準備をしたらこちらがミサイルを撃つのか、相手が発射してから撃つのか、というタイミングや方法論ではない。そもそも、敵の基地に向けてミサイルを構えるということは、ミサイルの発射ボタンを押す覚悟があるのかどうかということです。発射すれば向こうで人が死ぬかもしれない。逆に向こうからも撃たれて、日本人が犠牲になるかもしれない。そんな凶器を持つ覚悟は私にはできません。ならば、どうするか。こちらも相手もミサイルを使わない、使われないようにするためにできることって外交努力じゃないですか。その知恵を絞ることを、もっと政治家も国民も皆が考えたらどうかと思う。戦争国家になろうとしているわけではないのですから」

 こんな時代に平和外交を説くのはお花畑の議論だと揶揄する向きがある。

 しかし、冷静に考えれば、敵基地攻撃能力の保有こそがお花畑。決して日本が安全になることはないし、抑止力向上は非現実的であり、むしろ国民の生命と財産がより危険にさらされるのである。

 密室で決められた亡国への暴挙を知らない国民が浮かれるクリスマスと正月……。悲劇なのか、もはや喜劇というのか。