書名:センス・オブ・ワンダーを探して
生命のささやきに耳を澄ます
著者:阿川 佐和子 福岡 伸一
発行所:大和書房
発行年月日:2011/11/1
ページ:253頁
定価:1400円+税
阿川佐和子と分子生物学者福岡伸一の対談本です。「生きている」とはどういうことか。かけがえのない子ども時代の出会いと感動に導かれ、いのちと世界の不思議に迫る2人の対話。子ども時代の経験これをいつまでも大切にして原点に返ること忘れない二人の楽しい会話、福岡伸一の教養あふれる会話、また阿川佐和子の間髪を入れない即応は読んでいて楽しくなってくる。
脳死を許すと、脳が出来たとき(脳始)が問題になってくる。脳が出来るまでは人間ではない。脳が出来るのは妊娠27週目から、それまで堕胎を許すと27週未満の子どもは殺しても良い。そこから内臓を取り出して人工移植に走り出す。そんな危険なことを許してはいけない。生命科学の最先端で分子生物学を専攻してその一線で活躍している福岡伸一の鋭い指摘が光を放っている。
科学の出来ること、出来ないことをしっかりと伝えることが科学者の役割、生命のメカニズムという言葉、メカというのは機械、生命を機械と同様に考えて、細分化して一つ一つ構成要素を分解してひとつの部品として考えてきた近代科学、それはそれなりに意味があったけれど、機械とは違うということも判ってきている。
臓器移植のように一つの心臓を移植したとき、その隣、それに繋がっていた血管、神経系などは分断されいる。そして自分自身の体が拒否する免疫系を封じ込めるための薬で強制的に押さえ込んでいるのが実態。人間の細胞60兆個は日々新たに新しくなっている。そしてそれぞれの機能と機能の関連は動的平衡の世界にいる。テレビ、機械のように一つの部品がひとつの役割を果たしているのではなく、ある機能が損なわれるとそれを補うように働く不思議な機能を持っている。
最近は遺伝子、DNAを重要視して、遺伝子、DNAで人間の一生が決まるようなことを言っているが、これは間違いである。その育った環境、生きてきた環境によってどのようにでも変わる。それが人間というもの。また会社の遺伝子とか比喩的に使っているが、これはおかしい。文化というべき。
オランダのアントニ・ファン・レーウェンフック(顕微鏡の父)とフェルメールは友達だった?というところは中々面白かった。レーウェンフックはスケッチは苦手だった。そこで顕微鏡で見た物をフェルメールが描いていたと。それは見事なスケッチだった。でもフェルメールが亡くなってからのスケッチはレベルが大幅に低下している。そんなことを福岡伸一が唱えている。
この対談を読んでいると次々と発想が展開していて、興味深い。何度も読み返してみたい本です。ちょうど童話のように。阿川佐和子は子どもの頃から本が嫌いだった。でも杉並区に石井桃子「ノンちゃん雲にのる」著者の「かつら文庫」に兄と一緒に通っていた。本は嫌いだったけれどその空気を吸っていたと。
本書より
----------------------------------
「子どもたちよ。子ども時代しっかりと楽しんでください。おとなになってから。老人になってから、あなたを支えてくれるのは子ども時代の「あなた」です。---石井桃子
「子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力を世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。」
----レイチェル・カーソン
・知ることは、感じることの半分も重要でない。