投稿者 スレッド: 好日  (参照数 621 回)

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好日
« 投稿日:: 5月 13, 2013, 08:21:58 pm »
書名:好日
著者:梶井 剛
発行所:社団法人電気通信協会
発行年月日:1974/6/20
ページ:492頁
定価:非売品

著者は初代電電公社の総裁、逓信省出身で住友本社、日本電気などの役員を務め、公職追放を経て日本電気社長・会長を経て電電公社の総裁になった人。当時電電公社ではなく日電公社と揶揄されたことも。図書館のリユースコーナーで偶然見つけた本です。40年ほど前の本ですが、出版当初のままで全く読んだ形跡がない綺麗な本でした。著者の米寿を記念して出版された「好日」という本です。「週刊時事」「電気通信」に寄稿された随筆、俳句、電電公社総裁時代に諸家との対談された対談集をまとめたものです。

随筆は昭和30年のものが多く、交通事故に対する著者の考えや、東京の無計画な拡大、川の汚染など都市問題についての記述が多い。東京オリンピックの前の東京の問題点など。また電話、交換手の実情、駅弁大学、学生運動、大学の自治、教育改革、インスタント時代、師夏目漱石、師山川健次郎など昭和の匂いがいっぱい。

松下幸之助、吉川英治、丹羽文雄、正宗白鳥、久保田万太郎、中谷宇吉郎、湯川秀樹などの諸家との対談。

この中で湯川秀樹は、心ならずも原子力委員会(初代委員長正力松太郎)の委員になった経緯と原子力について
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湯川
私は正力さんの非常な意気込みというか、熱意には敬服しているのです。しかし原子力の問題は、いつも言うのですが、これを出来あがった問題、決まってしまった問題というふうなとらえ方をしてはいけない。一応ある方法で電子エネルギーを利用する方法を我々は知っているわけで、それで発電できるような段階になりつありますが、将来はもっと違う方法があるかもしれない。また発電という問題にまでいけば、どれが一番良い方法であるかとうことは、現代判定の出来ない段階だと私は思うのです。
ですから目的を決めて、それに進んでいくのは結構ですが、その場合でも常にまだこれは一定の段階にある問題だから、出来るだけ視野を広くして、方向が変わったら全然ついていけないというような事ではではいけない。ある程度の無駄はしょうがないと思いますが、非常にオープンな問題だというとらえ方をしないと困ると思うのです。それは他の方とみんなそれぞれ立場がちがいますから、それぞれご意見が違うでしょうが、私はその点を一番考えているのです。これは実際分かりませんね。
梶井
まだ未定見の問題ですね
湯川
十年、二十年たってどんなに変わるか、例えば電気という問題だけに限りますと、水力発電、火力発電ということだけの応用ということを狭く考えれば、大体十九世紀に原理的なことは全部分かっているでしょう。ところが原子力という問題になると、大体まだ分からぬ事もあるし、それの応用になればまだまだわからぬことがあるわけでしょう。まして電力問題に入って行きますとまだまだいろいろ可能性がありまして、うっかり一つのことに飛びついてしまっても、日本みたいな余裕のない国であればなおさら問題だと思います。ほかのみなさんはそこまで考えにならなくてもいいのですが、私は原子力委員になってそう言うところを誤ってはいけないので、非常に責任を感ずるのだけれども、そんならこうだと断定が下せないところがつらいのです。
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その後1年で湯川秀樹は原子力委員を辞めるのであるが、なったばかりのころの会話です。この会話の裏にも発電、電力の問題というより裏に核兵器が潜んでるニュアンスが感じられる。

この本を読んでいてちょっと感心したことは昔の経営者はゴルフもやるけど和歌、俳句、絵画、随筆など教養が深いということ。文化芸術に素養があった。そして政府や人を批判しない。決して批判の目ではものを書かない。良い方に解釈する。淡々と受け取る。そして実行は静かに。批判からは何も生まれないことを知っていた。人の批判をしている暇があったら自分でやってしまう自信、力があったのでは。そんな感じがしてならない。また批判するときは必ず代案、提案がある。批判だけでは単なる愚痴になってしまう。公職追放を受けた人(全部ではないけれど)は戦前の教育を受けて、戦前を生きて出世した。当時のエリート(本当の意味での)は今のエリート呼ばれている人々とは心がけが違う。人格が違う。ただただ偉い人がいた。そんな感じがする一書です。