投稿者 スレッド: 真言宗補陀洛山西方寺観音堂扁額(釈文)  (参照数 322 回)

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真言宗補陀洛山西方寺観音堂扁額(釈文)
« 投稿日:: 12月 24, 2017, 02:56:41 pm »
真言宗補陀洛山西方寺観音堂扁額(釈文)
http://www.city-yokohama-tsuzuki.net/station/2017/saihouji/

2014年8月頃西芳寺(新羽)をつづき交流ステーションのメンバーと訪ねた時
に伊藤増見住職にお会いして「港北の昔話」の編集時の話、その当時の様子。
また茅ヶ崎八景のことなどをお聞きしている時に、ここの観音堂に額が掛かっ
ている。ということで観音堂(2017.11市の重要文化財に指定され、歴博で今
公開されている十一面観音像が安置されている)の額を伊藤仁海副住職と一緒
に外して、写真撮影をさせていただきました。その後何度か読んでみましたが、
新羽地域の人たちの俳句を奉納した額であること。明治時代のもの等は判りま
したが、それ以上は判りませんでした。

そこで「十一面観音像」も横浜市の重要文化財にも成ったことだし、解読して
みようと試みましたが、力いや能力不足で読めない字が多々ありました。そこ
で古文書に精通している知り合いにお願いして読んで貰いました。
通常読んでいる古文書と違って、俳句、そしてひらがなが一杯入っているので、
精通している方にも読めない字があり、一応判った範囲でまとめました。お家
流は候文等定形ですが、俳句は??ですね。ただ誤字、間違いもあると思いま
す。

明治21年4月頃の額です。当時地方の文化人知識人の間に俳諧が流行していて
この地域においても同様であったという事だと思います。大熊、新羽などの地
名が書かれているので俳号は地域の俳句雑誌、石碑など(残っていれば)みれ
ば実名を確定出来るかもしれない。また現在42首の俳句を選者2人で選らんい
ますが、赤丸が残っていて後3人を選ぶ予定だったのでは?提出が遅れたのか
?ちょっと面白い。