投稿者 スレッド: マンション傾斜問題---池辺(いこのべ)町はどんなところ  (参照数 1306 回)

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マンション傾斜問題---池辺(いこのべ)町はどんなところ
« 投稿日:: 11月 03, 2015, 05:54:42 am »
池辺(いこのべ)町はどんなところ
http://www.city-yokohama-tsuzuki.net/tks/nota/tsuzuki/?20151102183142

最近マンション傾斜問題で一躍有名になってしまった池辺町、どんなところでしょう。歴史視点、地形的視点、地理的視点からちょっと考えてみました。最近のICTの発展で比較的簡単に調べることができます。土地、家、マンションを買うときは事前にネットで調べて見ることも必要だと思います。問題の起きているマンションは元々は海の中、古池、それを埋めて、その後湿田、その後工業地帯だったところ、3階建て以上の建物は建っていなかった場所でした。有史以来人は住んだいなかった場所だったようです。土地の造成技術は上がっていますが、実際の作業は人間がやっています。これが問題?ですね。

1.歴史の視点

・「新編武蔵風土記稿都筑郡池辺村」1800年頃(国立国会図書館デジタルコレクションより)
 村内宗忠寺の前に古池ありしより名付しと土人の口碑に伝へり今は其蹟水田となれり
・今昔マップ
 1896年~1909年、1965年~1968年、1975年~1978年、1998年~2005年、地理院地図を比べてみる
 1965年までは水田、1975年日本電気、松下通信工業、大日本印刷、緑産業道路、第三京浜(1966年頃)などが出てきます。
 緑産業道路が出来て工業団地、工場が建設され始めるのが1966年。ちなみに日本電気が3階建て、2005年12月NEC横浜事業場閉鎖、2007年4月ららぽーと横浜(3階建て)オープン。

2.地理的な視点

・Flood Maps
 Flood Mapsで40m~50mの水位で眺めてみると縄文海進(縄文時代前期の約6,000年前)の頃の地形が見えてくる。池辺町は海の中だったことが判る。Flood Mapsで水位を変えて水が浸かるの高さに調整すると20m辺りになるので、海抜20メートル程度ということがわかる。

・今昔マップ
 1896年~現在までを鶴見川の流れに注目しながら眺めてみると、水路の変化が判る。

3.その他
参考資料としては「御大典記念都田村誌」「都筑の民俗 横浜市港北ニュータウン郷土誌」「鶴見川・境川 流域文化考」「港北百話 古老の話」などがあります。

由来
町名、池辺町の由来と宗忠寺縁起(碑)
古代より人跡が認められた池辺の地は、天地の息吹に呼応して流れ続けてきたであろう鶴見川のように、人々に彩られた歴史が千古の光を放っています。
私たちの町池辺は、正しくは「いこのべ」と読み、古くは伊子野辺、池野辺とも書き、「いけのべ」とも称しました。宗忠寺の前に大きな池があり、その辺りに村があったので池辺と呼ばれるようになったと云います

Flood Mapsはなかなか便利なツールです。毎年各地で水害がありますが、この地図で水位を調整してみるとやっぱり低地のところが大半です。

参考資料
近代デジタルライブラリー(平成28年5月終了→デジタルコレクションに統合)
http://kindai.ndl.go.jp/
国立国会図書館デジタルコレクション
http://dl.ndl.go.jp/
今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト
http://ktgis.net/kjmapw/
Flood Maps
http://flood.firetree.net/
つづき歴史散歩道
http://www.city-yokohama-tsuzuki.net/rekisi/rekisi.cgi
« 最終編集: 11月 06, 2015, 09:53:25 pm by admin »