書名:本能寺の変431年目の真実
著者:明智 憲三郎
発行所:文芸社
発行年月日:2013/12/15
ページ:345頁
定価:720円+税
よく、日本の三大反逆者と呼ばれることが多い明智光秀、その子孫の著者が今までの常識とは違った視点で本能寺の変を解析して真実に迫ろうとした力作。単行本でこの本の4年前「本能寺の変427年目の真実」という本を出しているが、本書の文庫本化するときに大幅に書き換えた。今までの定説というものをまとめて紹介しながらその問題点を挙げながら持論を展開している。
土岐明智氏の行く末に危機感を抱いた老年の明智光秀の取った謀反は今まで三面記事的な扱いをされてきた。武勇にも優れ、リーダーとしても優秀で、信長の信頼も厚かった光秀、知識も豊富で教養もあった。そんな武将が一時の感情で、土岐明智氏一族郎党が滅び去るかもしれないことをしたとは考えづらいというのが出発点。本能寺の変と豊臣秀吉の命を受けて編纂された「惟任退治記」には光秀の人柄をめちゃくちゃに書いてある。その後「信長記」などの記述も勝った豊臣秀吉を意識した書き方、そこからは真実が見えてこない。
光秀は信長の命を受けて「徳川家康を討つ」というシナリオ、そのための名目として信長の中国征伐への出征、光秀の家康供応役を解任して中国征伐へ、亀山城に戻って準備、家康は京都から堺へ、信長が京都の本能寺へ(家来も少ない)、本能寺の変当日、家康と本能寺で会う予定にしていた。家康を本能寺に呼び寄せて、光秀、細川藤孝、筒井順慶らに家康を討つ、その後三河、駿府へ攻め込む。そんな計画を立てていた。しかし光秀は武田も滅んで、漸く天下統一寸伝で平和になると思っていたところ信長の唐入りという遠大な計画を知る。また四国の長宗我部元親征伐(光秀は前から長宗我部元親とは親好を深めていた。また部下の斉藤利三を通じても長宗我部元親とは友好な関係を続けていた)光秀の思惑とは信長の思惑。
信長-光秀-藤孝-順慶・・・・家康を討つ
・途中から信長を討つに変わる
家康-光秀(順慶は右往左往)
藤孝-秀吉
結果、光秀は信長を討つ、その情報は藤孝によって秀吉に、結果中国大返し。家康は堺から大慌てで三河に、光秀の支援に出陣する前に、天王山の戦いで光秀は敗れてしまう。その後の経緯を見ればこの本能寺の変、以後一番得をしたものは誰?秀吉?いや細川藤孝、忠興では。
家康は明智光秀の娘ガラシャは許している。斉藤利三の娘福(春日局)は三代将軍家光の乳母、権勢を誇った。
そんなシナリオをいろいろな文献、文書などを駆使しながら説明している。ちょっと著者の独りよがりなところも見受けられるがなかなか面白い説です。