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小原鐵五郎という人
« 投稿日:: 2月 12, 2013, 08:35:54 pm »
小原鐵五郎という人

城南信用金庫の吉原毅理事長の話を聞く機会があった。3.11以降城南信用金庫は反原発を金庫の方針にしている。その話の中で、「銀行に成り下がるな」と言った第三代理事長小原鐵五郎の言葉を紹介されていた。そこで小原鐵五郎という人を初めて知った。

お金という物は人間を個人主義にしてしまう。家族主義、コミュニティ、人と人のふれあいから遠ざかってしまった。銀行に成り下がらないようにしないといけない。経済至上主義におちいらないように。経済人はだめ人間ばかり、今では株式会社というと誰も疑わなくなっているが、この株式会社にもやっぱり大きな落とし穴がある。

19世紀、出資額に応じて企業支配をする株式会社は、株主・資本家(投資家)の利益を目的とした経営がおこなわれるため、株主・資本家(投資家)最優先の経営になる。儲け主義に走る。そのため従業員、消費者は二の次となって、貧富の差が拡大し、企業の買収が容易なので資本の独占化が進むなどの問題をはらんでいる仕組みだった。

イギリスのロッチデールにおいて、労働者が集まって、儲け主義ではなく、利用者である庶民の生活向上や相互扶助のために、一人一票の民主的な運営を行う企業組織を作ろうという理想のもとに誕生したのが、協同組織の起源である。この社会運動がドイツにわたり、それを模範として、明治期に日本に導入された産業組合が信用金庫の起源である。この産業組合は「地方自治の基礎」として、地方自治体が社会安定の観点から地域の有力者に設立を要請するなど公共的な役割が期待されていた。

したがって、銀行という儲け主義の銀行に成り下がるなと言った。また銀(銀行)より金(金庫)が上でしょう。また公共的な役割を持っている。一企業の儲けに走る銀行とは違うのだと。プライドが高いですね。戦後金融機関が株式会社化する中でこの信用金庫という仕組みを残すことに尽力したのが小原鐵五郎という人だ。

「産業金融に徹する」(小原鐵五郎語録より)
小原は「銀行は晴れた日には傘を貸して、雨が降り出すと取り上げるというが、信用金庫はそういうことではいけない」「企業に対しては、相手の立場に立って、低利の良質な資金を安定的に供給し、その健全な育成発展に貢献することが金融機関の使命である」と述べ、これを「産業金融」と称していた。

「国民経済が大切」(小原鐵五郎語録より)
小原は「経済は国民の幸せのためにある」という信念の下に、大企業の海外進出、産業の空洞化の進展を憂慮し「このままでは、やがて日本の国民は働き場所を失い、失業者が急増し、国家が衰退する」と警告を発していた。当時は「自由貿易を拡大すれば、各国経済は成長発展する」という自由貿易論が支配的であり、「国民経済」という概念は保護貿易につながり、時代に逆行する旧態依然の考えであると軽視された。しかし、その後プラザ合意、日米貿易摩擦、構造改革を経て、経済のグローバル化が進展する中で、小原の懸念は現実のものとなり、日本経済はデフレと失業に苦しめられる状況となった。

「貸すも親切、貸さぬも親切」「カードは麻薬」「貯蓄興国、借金亡国」などどれもじっくり噛みしめたい言葉が並んでいる。資本の独占が進んでいくとだんだん息苦しくなる社会が出現してくる。お金は人々の幸せのためにある。それがだんだん苦しめるためになってきている現状を先取りしている考え方。そしてお金に振り回されるのではなく、大きな哲学をもった人ということが出来ると思う。いつ頃から経済、お金の話ばかりになってきたのだろう!。国際会議でも経済、経済ばかり、哲学、倫理、道徳、教養、芸術の話がされていない。経済、お金は人間の活動の中では本の一部、もっと人間には大切なものがあるのではないかと言うことを気づかせてくれる。

小原鐵五郎という人に興味を持った。

2013/02/07 城南信用金庫 吉原毅理事長インタビュー
http://princeyokoham.sakura.ne.jp/smf/index.php?topic=1458.0