書名:ヒロシマ 増補版
著者:ジョン・ハーシー
訳者:石川欽一・谷本清・明田川融
発行所:法政大学出版局
発行年月日:2003/7/22
ページ:244頁
定価:1500円+税
ジョン・ハーシーが1946年4月に訪広して3週間、原爆の生存者(被爆者)を訪れそのとき、その後の様子をインタビューして、6人の被爆者に絞って綴ったものです。当時は科学的見地、医学的見地からの調査は米軍、日本政府、大学、病院などが行っていたが、この本のような内容は皆無の時代。雑誌ニューヨーカーに発表された「ヒロシマ」は全米で大反響30万部を超える売れ行き、その後各雑誌に取り上げられ、各国語にも翻訳された。原爆の実態を世界中に知らしめた名著とされている。
でも1946年8月時点で日本人の殆どはこの本、内容は一切知らせていなかった。GHQ報道管制、出版規制の中、本書が1949年4月石川欽一・谷本清訳で法政大学出版局から出版された。なんでも法政大学出版局の初めての出版物だったとか。増補版は1章から4章までは初版、5章以降はヒロシマその後として取材した6人のその後、世界のその後を記述している。
取材に応じた6人は下記
佐々木とし子
東洋製缶工場の社員。爆心から1.5キロ。
藤井正和
医師。京橋川の近くにある自宅(藤井病院)にて被爆(爆心地から1.4キロ)。
中村初代
幟町在の仕立屋の未亡人。爆心より1.2キロ。
ウィルヘルム・クラインゾルゲ(その後日本国籍を取得して高倉誠)
イエズス会ドイツ人司祭。通訳、案内人。幟町の教会で被爆(爆心地より1.3キロ離れたところ)。
佐々木輝文
外科医。日赤広島病院にて被爆(爆心地より1.5キロ)。
谷本清
牧師。流川に教会。市街の知人の家で被爆(爆心地より3.2キロくらい)
この6人の人々が遇った1945年8月6日8時15分前後から1週間、そのときの模様(阿鼻叫喚地獄)が淡々と描かれている。そして原爆ということすら知らなかった人々、アメリカを恨む感情もない。誰しも「仕方がない」という感覚。本当に生きるか死ぬかの境地というのはそんなものかなという感じもする。後になって漸く憎しみとか、原爆、平和などの感情が湧くのかもしれない。しかし心の底に訴えてくる強いものがある。クラインゾルゲ神父がこの6人のキーマンになっている。著者がアメリカ人ということもあって通訳をしてくれる人を通しての取材、また取材できる人を探すことができたのは病院関係者、キリスト教会関係者だったのだろう。
谷本清氏もアメリカに留学したこともある牧師、その後全米を講演をして回って、被災者のための募金を募っているし、この本の訳者でもある。原爆でケロイド状にやけどをした少女達(原爆乙女)をアメリカに送って整形手術を受けさせるために奔走した。また原爆にいち早く反対した。この人の存在が原爆反対の平和活動が全世界に広がった要因のひとつだと思う。その後反対は政治運動とかして資本主義国の原爆は反対、でも社会主義国の原爆には賛成というような政治色の原水協(共産党系)、いかなる原爆は反対の原水禁(社会党系)に分裂。そしてヒロシマの記憶は薄れつつある現代もう一度読み直してみるのも必要ではないかと思う。「ノーモア・ヒロシマ」を忘れないで置きたい。