投稿者 スレッド: 戦争いらぬやれぬ世へ  (参照数 311 回)

admin

  • Administrator
  • Hero Member
  • *****
  • 投稿: 59142
    • プロフィールを見る
戦争いらぬやれぬ世へ
« 投稿日:: 5月 02, 2014, 10:12:33 pm »
書名:戦争いらぬやれぬ世へ
著者:むのたけじ
発行所:評論社
発行年月日:2007/4/30
ページ:340頁
定価:1800円+税

むのたけじのこの世を生き抜いていくか?きたか?「根底にあるものはたった一つ、この世から戦争をなくしたい、なくさねばならぬという命懸けの志です。」この本は3000回以上行った講演会の中で話した内容を纏めたものです。

人類の歴史の中で6000年ほど前までは戦争なんかなかった。すぐ最近のこと。農耕をはじめて食料の備蓄が出来るようになって富の蓄積、偏在、持てる者と持たざる者が出てきた。そして持てる者はもっともっとと欲するようになってきた。「そして戦争はなくならない」と諦めている。本当にそうか?世の母親、父親は自分の息子に人殺しになってくれと思っている人は1人もいない。戦争というのは殺されるから殺す、犬畜生の世界に大切な息子を送ることになる。

アメリカの進駐軍に押しつけられた憲法、いや日本人が作った。いずれでも良いが世界に誇る憲法をこう解釈したらと。進駐軍の中の政策担当者は新しい国を作る意気込みに燃えて理想の憲法を提案した。日本側も戦争はもうこりごりと思っていたので、黙ってそれを受け入れた。憲法を施行した時に日本人は大騒ぎ(歓迎、反対)しなかった。淡々としていた。それどころではなかったかもしれないけれど、問題があったら2.1ゼネストのように騒ぎになっていたはず。無思想の日本の中に憲法の精神が戦後の復興に役に立ったのではないか?それも昭和35年頃までの15年位、それ以降はお金、お金、経済経済で堕落してしまった。

明日は憲法記念日、先人の貴重な体験が一杯のこの本に歴史をたどるのも良いのではなかと思う。
おくには?と聞かれて、大抵はふるさとを思う。国家というのはくにとは全く違う。19世紀頃から国家、国家と人間の頭の中で作ってきたもの。くにと国家が矛盾してしまっている。選挙結果を見てもとても国民を代表した意見が通っているわけではない。国家が支配する、コントロールする世界しか出来なかった。未だに国民ではなく、臣民のまま。

社会主義の国はレーニン、毛沢東いずれも民衆を解放すると言って実際やったことはロマノフ王朝、清帝国にが共産党にに変わっただけ。どこに民衆はどこへいった?

憲法の99条に興味深いことが書いてある。
第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

これを素直に読めば憲法の改正を提案出来るのは?誰?天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は擁護側ですよ!総理大臣自ら憲法改正発言をしていいの?
ところどころに秋田弁(六郷弁)が混じっていてちょっと理解しづらいところもありますが、言いたいことがより伝わってくるような感じがする。

老人→年寄り→老齢→高齢と変わってきた高齢というなら少年青年は低齢か?高齢なんていわず社会経験者と呼ぼう。分析解析の能力は30歳前後までと言われるが、総合力は60歳を超えないといけない。年を重ねれば賢くなってくる(著者の実感とか)その社会経験者のやることはまだまだあるはず。
ちょっと強引な所もありますが視点が変わっていない。ぶれのないしゃべりは流石という気がします。昔も今も常に自分で考え、自分で行動してきたその生き様に触れる気がする。

本書より
--------------
人類共通の理解で教育とはこういうものだ、というものが日本人の中では十分に理解がなされていない。おそらく教育の専門家も、ここを分かっていないでしょう。 今、日本で行われているのは、教育とは違うものです。幼稚園に入る時から競争させて優劣を争わせ、順番をつけて篩いにかける。保育園から大学院まで、就職予備校だものな。

 教育とは何か。
(中略)語源はラテン語のエデュカシオ(educatio)。「引き出す」という意味です。何でも大人が一つの事実をつくって子どもをはめ込むものとは違うのよ。 命に対する徹底した尊敬だな。(中略)子どもが3人いれば3通り、(中略)優劣をつけずにそのものとして扱う。これが教育です。では誰がそれをするのか。人類の古くからの慣わしでは寝食は家族単位でやることです。だけどもそれ以外の社会生活は、すべての子どもをすべての大人が守るんです。これは自治体なんです。
 (中略)
農耕が始まる以前の人類は、毎日居所を変えていました。食料を絶やさないと同時に、肉食獣に襲われないためにです。「いかに食うか」と同時に「いかにして食われないか」。この課題に立ち向かうために家族同士が寄り集まって、小さなグループができた。
(中略)
社会全体からすればこれは一つのコミュニティなんです。そこではすべての大人がすべての子どもを守るというのでなければダメ。すべての子どもを守って伸ばすことに、すべての大人が責任を持ってがんばる。これが教育の原則、本質。そうでなければ教育とはいえないのよ。
(中略)
これは一番大切なことです。命を尊び、あてにならないものを頼らない。仲間同士協力し合う。そこに立ち返れば未来はあります。
 (中略)妙なことをやっている人は自分の生活を粗末にしている。自分を見失っている。
英雄や救世主、神様、誰か特別の少人数の人間によって人類が救われるということはない。自分を救えるものは自分しかいない。一人ひとり、名もない我々こそが、世の中の本当の主人公なんだという実感を持たなくちゃダメですね。