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津波と原発
« 投稿日:: 2月 22, 2014, 08:56:09 pm »
書名:津波と原発
著者:佐野 眞一
発行所:講談社
発行年月日:2011/6/18
ページ:254頁
定価:1500円+税

もうすぐ福島原発事故が起きて3年が過ぎようとしている。事故直後3月18日、病後の佐野眞一が現地を訪れて三陸大津波と福島原発事故の実態をレポートしたドキュメント。
短期間に被災地を回り、関係者から慌ただしく取材してまとめた作品です。取材不足あるが、登場する人々の言葉は真実が見えてくる。

今は避難所で暮らす新宿ゴールデン街の「名物おかま」、元共産党幹部の津波研究者、福島第1原発周辺のホウレンソウ農家、地震のとき原発で働いていた労働者、かつての原発反対派町議などなど。
そして2部では福島第一の場所(大熊町、双葉町)の歴史、江戸時代相馬中村藩の領地であり、天明の大飢饉で人口が激減したとき因幡(鳥取)から集団移住してきた(天保の頃)人々が住んでいた。その子孫達が住んでいたところ。

稲作も出来ず、やせた土地にその後陸軍の飛行機の練習場、その後西武の堤康次郎が購入(3万円で)し製塩場を経営していた。製塩法が変わったことで何処でも塩が作れるようになって来て、経営がたちいかなくなった。そこに原子力発電所を誘致する話が舞い込んだ。3億円で売った。
「原発の父」と呼ばれる正力松太郎、そのブレーン柴田秀利、東電社長の木川田一隆、福島県知事木村守江などがキーマン。もっとも地元の町議会、町長も原発大歓迎で誘致に積極的だった。原発の平和利用の裏面史をするどく切り込んでいる。

福島県浜通り地方のかつての貧苦に触れながら、戦後日本が原発を受け入れたことの正と負を突きつけている。東京中心主義が益々加速する中で貧困な地方が選択してきた道のどうしょうもないやるせない思いが強く伝わってくる。同じエネルギー関連産業でも炭坑労働は明るい(勿論危険はいっぱいあるが)俺たちが日本のエネルギーを支えているという気概がみられる。炭坑節などの歌も作られている。
しかし原発労働者は暗い、後ろめたさを抱えている。勿論労働者自身もエネルギーを支えている気概もみえない。これが大きな違いだと云っている。

(本書より)
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場合によっては逮捕されることも覚悟で立ち入り禁止地区に入ったのは、原発事故に対する大メディアの報道に強い不信感をもったからである。新聞もテレビもお上の言うことをよく聞き、立ち入り禁止区域がいまどうなっているかを伝える報道機関は皆無だった。(中略)
原発のうすら寒い風景の向こうには、私たちの恐るべき知的怠慢が広がっている。