投稿者 スレッド: 七十を過ぎてわかったこと  (参照数 293 回)

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七十を過ぎてわかったこと
« 投稿日:: 11月 18, 2013, 03:49:18 pm »
書名:七十を過ぎてわかったこと
著者:西村 惠信
発行所:禅文化研究所
発行年月日:2010/7/30
ページ:269頁
定価:2000円+税

先日、西村惠信さんの「白隠禅師と弟子の東嶺さんに縁のあるお寺」東京禅センター公開講座を聴講した。西村老師は新幹線で新横浜あたりまで標準語でしゃべるように練習してきたと言いながら、端々に京言葉、アクセントが出て、久々に懐かしい感じがした。禅僧の特徴か?論理的に系統立って、判りやすい説明に慣れていた身にとっては、話は突然違った方向に、じっくり考えてようやく納得という感じでなかなか面白い。書ではつかめぬ肉声で聞くところに良いところがある。

また鎌倉五山、京都五山の違い、これらの寺院が堕落したとき、山隣派(五山の隣という意味)と呼ばれる寺院で厳しい学問の探究と座禅が進んだ。山隣派の代表的な寺院が大徳寺、妙心寺だと。鎌倉五山は中国の国内の混乱で仏教を排斥された禅僧が大勢日本に逃れてきた。その人たちを大歓迎で迎えて鎌倉の寺々で開祖と成られた禅師によって創られた。ちなみに中国は仏教を徹底的に破壊した時期が4回あって、禅宗以外の宗派は無くなった。何故禅宗が残ったか?他の宗派はお経による仏教、したがって教典がなくなると伝えることができない。しかし禅宗は師から弟子に口伝、あうんで伝える(判ったのか判らない)から残ったんだと。仏教雑学も豊富で面白かった。

あなた誰ですか?普通こう聞かれると、自分の所属、生年月日、生まれ、経歴など一杯。答えるだろうでもそれがあなたですか?ある禅師は「不識」(しらずと)答えた。こころはどこにあるの?私の胸の内、本当にそうですか?こころはどこにもない。花と縁あって花が私に語りかけているから、あぁ美しい花だと感じさせてくれる。私の五感に伝わってくる一瞬一瞬のものを感じているのがこころ。だからこころはどこにもない。いやどこにでもあるとも言える。

人は死んだらどこへ行くのか?2つしかない。霊魂があると考えると今は仮の世、あの世で楽しいことがまっていると期待できる。霊魂がないと考えると単なる物体としてなにも亡くなってしまう。その2つだけ、だから死について深く悩むことも楽観することもない。山田無文禅師は104歳で亡くなったが、師の人生で一番充実して楽しい時期は70代だっと振り返っておられる。また小倉 遊亀画伯も同様のことを言っておられる。

この本も70歳を超えて見えたこと、判ったことをエッセー風に27編綴られている。ページをめくりながら気になるページに目をとめて読み進むののも良い。西村老師は2歳の時にお寺に預けられて両親の顔も識らないでお寺で育った生い立ち。白隠禅師は弟子の東嶺さんがいなかったら世に出ていないといわれる東嶺円慈さん剃髪をした由緒地大徳寺(滋賀県五個荘)、の近所の生まれ、元花園大学の教授、学長を経て禅文化研究所所長の任にある人。先日も西村老師の不思議な東嶺円慈とのご縁を話さされていた。秋の夜長にゆっくりと読んでみるのも一興かな?

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり」道元禅師

東京禅センター花園大学 禅・仏教講座
http://www.myoshin-zen-c.jp/event/event_hanazono.htm

本書より
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「七十の大台に乗ると、なんやら自分でも老人にになったような気がしだしたのは事実である。『六十にして耳順(したが)い」、つまり六十代の自分はなるべく自己主張を控えるようにし、ただ黙って若い人のいうことを聴いていた孔子様も、七十になるともはやそんな嘘で固めたような生き方をやめて、『心の欲する所に従って、矩を超えず』というわけで、毎日を自分ののしたいようにして生きることだと教えている」

「現代のように価値観の多様と自己主張の激しい時代でも、老人の発揮し得る力があるとすれば、それは饒舌の時代のブレーキとなる、深い沈黙ではなかろうか。」
「沈黙して事態を見つめ、常に将来に可能性を残すことは、一種の反時代的精神であり、忍耐を必要とするが・・・・正しい方向を見定める舵手としての老人の仕事ではなかろうか」と、ローマ時代の大政治家キケロの「老年の豊かさ」を引用する。
そしてキケロの「老年には死が近いということ」についての、喜びに充たされた心境を紹介する。
「老人は何かを期待することさえできないというかも知れないが、老年は青年が望むものをすでに手にいれてしまった。青年は長生きしたいと望むが、老人はすでに長く生きたわけだ」

【もくじ】
大いなる心
手紙と人生
我が事としての老い
灰皿との惜別
梵音の響き
人生、感あり
望郷の季節
ニワトリ人生
よみがえる時間
葉落ちて根に帰す
一休さんの三面鏡
あれから五十年
わが師の思い出
野の道を歩く
さらに似ぬこそ哀れなる
朗らかなる死
アメリカで気づいたこと
ブラフト神父との四十年
吊り橋を渡る
人間、この矛盾存在
先生を見た
懴悔ざんまい
深い河
アナログ人間の弁明
「文化力」ということ
わが郷愁の蒸気機関車
私の中の宗教