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何が私をこうさせたか
« 投稿日:: 9月 25, 2013, 07:56:55 pm »
書名:何が私をこうさせたか
著者:金子 ふみ子
発行所:春秋社
発行年月日:2005/7/23(1931/7/10)
ページ:346頁
定価:1900円+税

1926年、朴烈事件で大逆罪に問われ、獄中で自死した23歳の女性金子ふみ子のその短くも壮絶な生涯を彼女が獄中で振り返った自伝である。1931年初版、2005年新版が発売された。大正時代のアナーキストで、朝鮮人の同志で夫だった朴烈とともに、天皇暗殺未遂事件の容疑で逮捕。死刑判決、のちに恩赦で無期懲役受けるが、わずか23歳で獄中で縊死。金子ふみ子という人はこの本で初めて知りました。また朴烈事件も初めて。

父母は結婚もしていない。「無籍児」として生まれ小学校にも通えなかった少女時代。朝鮮の祖母のところにいかされるが、最初の約束とは全く違って、学校へもろくに行かせてもらえず、女中以下の待遇、地獄のような日々が待っていた。自殺を考えたことも「私が死んでも、祖母たちは喜ぶだけだ」という思いから踏みとどまったという。その後日本に追い返されるが、浜松の父の元でも父と衝突して東京へ。苦学をして医大生を目指すが・・・・
朝鮮青年、朴烈と出会うところで物語は終わっている。自伝であり遺書である。現代問題になっている「いじめ」問題、幼児虐待、差別問題などの原形がこの中にあるように思う。読み応えのある本です。

本書より
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それにしても村の生活をこんなに惨めにしていくものはなんであろう。遠い昔のことは知らない。徳川の封建時代、そして今日の文明時代、田舎は都市のために次第次第に痩せこけて行く。

基督教の教えるところは果たして正しいのであろうか。それはただ、人の心を誤魔化す麻酔薬にすぎないのではないだろうか。人間の誠意や愛が他人に働きかけて、それが人の世界をもっと住みよいものにしない限り、そうした教えは遂に何等かの詐欺でなくて何であろう。

実のところ私は決して社会主義思想をそのまま受け納れることが出来なかった。社会主義は虐げられる民衆のために社会の変革を求めるというが、彼等のなすところは真に民衆の福祉となり得るか何うかということが疑問である。

指導者は権力を握るであろう。その権力によって新しい世界の秩序を建てるであろう。そして民衆はその権力の奴隷とならなければならないのだ。然らば××とは何だ。それはただ一つの権力に代えるに他の権力をもってする事にすぎるのではないか。

*××は革命か?

それは、たとい私達が社会に理想を持てないとしても、私達自身の真の仕事というものがあり得ると考えたことだ。それが成就しようとしまいと私達の関したことではない。私達はただこれが真の仕事だと思うことをすればよい。それが、そういう仕事をする事が、私達自身の真の生活である。

私はそれをしたい。それをする事によって、私達の生活が今直ちに私達と一緒にある。遠い遠方に理想の目標をおくものではない。

「手記の後に」
何が私をこうさせたか。私自身何もこれについては語らないであろう。私はただ、私の半生の歴史をここにひろげればよかったのだ。心ある読者は、この記録によって充分これを知ってくれるであろう。私はそれを信じる。
 間もなく私は、この世から私の存在をかき消されるであろう。しかし一切の現象は現象としては滅しても永遠の中の実在の中に存続するものと私は思っている。
 私は今冷静な冷ややかな心でこの粗雑な記録の筆を擱く。私の愛する凡てのものの上に祝福あれ!