投稿者 スレッド: 京都の道路が「碁盤の目」になった本当の理由  (参照数 1242 回)

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京都の道路が「碁盤の目」になった本当の理由
« 投稿日:: 9月 25, 2023, 05:49:30 pm »
京都の道路が「碁盤の目」になった本当の理由  - つみかさね
https://3yokohama.hatenablog.jp/entry/2023/09/25/172611

京都の街は碁盤の目のように道路が交差している印象が強いが現在の碁盤の目
のようになったのは結構新しいことが判った。主要道路「北大路、東大路、西大
路」が完成したのは大正から昭和とのこと。そこで今昔マップで調べみると二
条城より西は道路は殆どない。碁盤の目のようにきっちりと整備されたのは比
較的新しいことなんですね。平安京という暗示に騙されていたということかも
しれません。先祖代々云々という話も眉唾ものが多い。最近は調べる手段がい
ろいろあるところが良いですね。

今昔マップ京都市の地図 (1892年~1910年 明治25年~43年)
https://qr.paps.jp/RT2k3
今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二
(2000~2022年)
https://ktgis.net/kjmapw/

「平安京時代からの名残り」は間違っている
…日本人が知らない、京都の道路が「碁盤の目」になった本当の理由
主要道路「北大路、東大路、西大路」が完成したのは大正から昭和
https://president.jp/articles/-/73933
平安京オーバーレイマップ
https://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/heian/
平安時代の「右京」は人が住めるようなところではなかった!?
https://rekilabo.com/ukyo/