ウクライナ研究の第一人者に聞く ロシアの侵攻から1年半…終わりの見えない戦いはどうなる|日刊ゲンダイDIGITAL
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/328047岡部芳彦(神戸学院大経済学部教授)
1991年8月24日、ウクライナ最高会議は独立を宣言し、国名から「ソビエト社会主義共和国」の名称を削除した。ソ連崩壊をとらえた無血の独立となった。それから約30年。ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、24日で1年半だ。終わりの見えない戦いは今後、どうなるのか。ウクライナ研究の第一人者に話を聞いた。
◇ ◇ ◇
──侵攻から1年半が経過しました。
彼らはこの戦争が始まる前から「私はウクライナ人だから楽観的だ」と繰り返し、戦況についても楽観視しています。ソ連崩壊後、ウクライナ国民がはじめて1つの目的に向かって一致団結し、政府は徹底抗戦の姿勢を打ち出し、国民の高い支持を得ました。世論調査では「必ず戦争に勝つ」という回答が依然、9割を超えています。
──国民は戦争疲れしていませんか。
前線はともかく、首都キーウは日常生活を取り戻しつつあります。空襲警報は鳴りますが、敵ロシアの攻撃はドローンが多く、町から避難するほどではありません。何より、彼らはなぜ自分の国から逃げなくてはならないのかという思いが強い。今も深刻な事態であることに変わりはありませんが、日本人が思っているほど、深刻に捉えていませんし、絶望感が漂っているわけではありません。
■利益追求主義だった「戦時下大統領」
──侵攻当初、ゼレンスキー大統領に対する国民の評価は分かれました。
ゼレンスキー大統領は過去、中国の「一帯一路」に乗っかろうとしたり、就任後、半年ほどの対ロシア政策は土下座外交でした。プーチン大統領に相手にされず、路線変更した経緯があります。風見鶏はまだ軸がありますが、戦争が始まるまで軸どころか、信念すら見えなかった。おいしいところは全部取り入れていこうという利益追求型の機会主義者ですから、若年層からは受け入れられても他からは節操がなく映っていた。それが突然、「クリミアを取り戻す」と宣言した。これには驚きました。
──ポロシェンコ政権下の2014年、ロシアはクリミアを併合しました。
戦争によってブレない軸ができ、それを元に政策を立て直した。政治家として一皮むけた印象です。そもそも侵攻後、すぐにウクライナが広大な領土を失ったのは、政権の人事に原因がありました。占領されたヘルソン州の保安庁トップはロシアのスパイで、任命者はゼレンスキー大統領です。ロシア側は息のかかった人間をうまく重要ポストにはめ込んだと、ほくそ笑んでいたことでしょう。
──侵攻に影響したのですか。
プーチン政権はウクライナ国内の汚職がいかに酷いか把握しておらず、ロシア軍がヘルソン州に侵攻した瞬間、ある保安庁の幹部は休暇を取り、家族全員、海外に逃亡したともいわれています。ロシア軍にしてみたら、抵抗する市民を制圧するはずの内通者が指揮する治安部隊がいない。ロシア軍は明らかに戸惑い、大混乱に陥っていました。
──プーチン大統領は歴史を修正し、侵攻を正当化しています。
ロシア人の怖さを垣間見た1年半でもありました。戦争というのは開戦当初は盛り上がるものです。ロシア人は戦争の話や戦争映画、英雄が大好きです。ロシアの教科書は日本と違い、多くの部分を第2次世界大戦、つまりロシアで言う「大祖国戦争」に割いて美化する傾向が強い。今回もそれと一緒で、プーチン大統領が「ファシスト=ナチスとの戦い」と言っていたのは、そっちにベクトルが向かうと少数民族も含め、国民を「ヒトラーと戦わないといけない」と思い込ませられるからです。愛国主義にあおられやすく、根底には帝国主義的な発想がある。何をするか分からない、「何でもアリ」の国なのです。
──ロシアはあれだけ広大な領土を持ちながら、さらに支配地域を広げたいのですか。
帝国主義的な感覚がまだあり、国を植民地化したかつての欧州諸国と違うのは、ロシア帝国に属していた地域は「今でもロシア」という認識です。ウクライナもロシア帝国の一部だから、裏切るのはけしからんという発想です。だからプーチン大統領は「ウクライナ人はロシア人と同民族だった」と、歴史で説明せざるを得なくなるわけです。
──大嫌いなロシアと離婚したウクライナが、EUとの再婚を考えたばかりに攻め込まれたということですか。
DV夫に言い分があるにせよ、論理はまったく一緒です。両者が再び一緒になったところでうまくいくわけありません。ウクライナは独立時に極端な民族主義政策を取らず、国籍を希望する国民全員に付与しました。その結果、内紛、内戦もなく平和裏にソ連離れがうまくいった国です。ロシアはそれを逆手にとってロシア人を送り込み、一般には「親ロシア派」と呼ばれることが多い地域をつくり出しました。それもプーチン大統領の作戦だったのかもしれません。
──ウクライナ国民もロシア軍を歓迎すると読んでいたといわれます。
プーチン大統領にしてみれば、ちょっと威嚇すればシッポを振ると思っていたのに、ゼレンスキー大統領は反旗を翻した。侵攻後すぐに空挺部隊をヘリなどでキーウ近郊の空港に送り込みましたが、ウクライナ軍に包囲され、全滅しました。制空権のないまま敵地に強行着陸するなんて不自然で、あきらかに自殺行為です。ウクライナ軍は抵抗しないと思い込んでいたのでしょう。
親ロ派政権下「非武装化」がお膳立て
──プーチン大統領にはそれだけの「確信」があったと。
実は、ロシアはかつて親ロシア的と言われたヤヌコビッチ政権を通じて「非武装化」を実現していました。当時、国防大臣を務めた3人のうち1人はベラルーシ系で、2人はウクライナとロシアの二重国籍だった疑惑もあります。事実上、情報がロシアに筒抜けですから「非武装化状態」で、実際ヤヌコビッチ政権は安全保障環境が整っているという理由で軍縮した。14年のクリミア併合の際には、ウクライナ軍の実動部隊は5000人しかおらず、簡単に領土を奪われてしまった。ヤヌコビッチ政権がロシアの侵攻をお膳立てしていたのは間違いありません。
──ウクライナの人口はロシアの3分の1、軍事力は10分の1といわれます。欧米などによる強力な軍事支援があるとはいえ、持ちこたえている要因は。
戦争は究極のリアクションを求められます。ロシア軍の攻撃に対し、ウクライナ軍の反撃は速く、逆にロシア軍はソ連時代から官僚機構ですから、報告がプーチンまで上がるのに時間がかかり、命令が下りてくるのも遅い。そのタイムラグが善戦の理由ではないか。両者の兵力差が10倍だとすると、ロシア軍が敵軍10人のうち2、3人を倒す間にウクライナ軍が敵100人のうち50人を倒しているイメージです。その反応の速さが戦果に表れている気がします。
──ネオナチによるロシア系住民の迫害という侵略の口実は、「プリゴジンの乱」で公然と否定されました。
「ナチスとの戦い」を大義名分に掲げたプーチン大統領は、それを修正できません。最初に立てた筋書きが「東ウクライナの虐殺阻止」と「非ナチ化」ですから、この2つは絶対に譲れない。もはや領土的野心のために、戦争を続けているに過ぎません。
■ウクライナ最大の高齢化地域を併合
──ロシアがウクライナ領土の一部をさらに併合したとしても、代償はあまりにも大きいのでは。
本人たちも気づいていますし、ロシアの財務大臣も焦っています。無駄なことを続けているわけですから、国力は落ちていきます。しかもロシアが併合したウクライナ東部は、ウクライナ最大の高齢化地域です。今後はロシアが面倒をみなければなりません。年金を含む財政負担と、汚職が酷い地域を抱えることになる。ロシアにとっては経済的損失だけが増え、世界中から嫌われ、その結果、領土はちょっと大きくなるだけです。
──ウクライナには光明が見えていますか。
不幸中の幸いというか、国内の改革を促し、汚職を摘発し、保安庁に巣くうロシアのスパイのあぶり出しにも成功しました。復興して経済が発展すれば、国が生まれ変わります。できることからしていく時期に差し掛かっています。日本を含めて世界の国々がすでに復興に向け、動き始めています。
(聞き手=滝口豊/日刊ゲンダイ)
▽岡部芳彦(おかべ・よしひこ) 1973年、兵庫県生まれ。99年、関西学院大経済学部卒、在学中にモスクワ大留学。大阪大大学院経済学研究科修了。専門は日本・ウクライナ交流史。北方四島交流後継者訪問事業団長、ロシア問題研究センターエキスパート、ウクライナ研究会会長なども務める。2021年2月、日本人初のウクライナ国立農業科学アカデミー外国人会員に選出された。