投稿者 スレッド: ながい坂  (参照数 587 回)

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ながい坂
« 投稿日:: 6月 23, 2020, 02:17:38 pm »
書名:ながい坂(上)
著者:山本 周五郎
発行所:新潮社
頁数:434ページ
定価:130円 Kindle版

書名:ながい坂(下)
著者:山本 周五郎
発行所:新潮社
頁数:433ページ
定価:130円 Kindle版

山本周五郎は本名清水三十六(明治36年生まれから命名)で、山本周五郎商店
という本屋に勤めていた。いろいろなペンネームを使い分けているが、時代劇
小説にその勤めている会社の名前を用いたのがきっかけで山本周五郎という。
横浜の尋常小学校卒の学歴で、直木賞も受賞が決まっていたにもかかわらず辞
退している。その他の賞も軒並み辞退している。山本周五郎は生きている頃か
らその作品は結構読んでいたけれど、今回少し真面目に調べてみた。プロフィ
ールが判れば判るほどなぜか引かれる彼の作品に流れる人柄が大いに関係して
いたのだと発見した。立身出世を臨んで「俺が俺が」という世に一種の清涼感
のような作家だと思っていた。63歳で亡くなった。ということを初めて知った。

この『ながい坂』は下級武士の子で三浦主水正という武士の己の才覚で立身出
世していく物語です。下級武士出身の三浦主水正が若き藩主に抜擢され、どん
どん出世していきます。でもお家騒動で藩主が幽閉される。三浦主水正は命を
狙われ潜伏する。そして時節を辛抱強く待って、藩主を救い出して藩の再興を
図るというストーリー。才能あるものが、既存の勢力に押さえられたり、嫉妬
でいじめられたり、ありとあらゆる苦難に遭いながらそれでも信念を変えず突
き進む。900ページ近い長編小説ですが、ついつい読み進めて一気に読んでし
まった。この作品にも主人公の温かい優しさが底に流れている作品です。

三浦主水正という1人の武士が中心となる物語なので、その点は読みやすいと
いうか、読み始めれば作品の長さ自体はあまり気にならないだろうと思います。
物語に引き込まれる面白さのある小説です。電子本Kindleで読んだ、頁数は出
てこない(文字の大きさを自由に大きく出来る)自由に出来るから頁数は変動
する。でも残り時間目安と読んだ%表示は手がかりになる。本の内容はコピー
も出来るし、詠み上げも出来る(Windows10、ipad)Androidスクリーンリーダ
用ソフトを立ち上げて読み上げることは出来るが、スタート・ストップの制御
が難しい。

山本周五郎『ながい坂』
https://is.gd/aH9SnC

本書より
---------------------
「人間というものは 
自分でこれが正しい、と思うことを固執するときには、その眼が狂い耳も聞こ
えなくなるものだ、なぜなら、或る信念にとらわれると、その心にも偏向が生
じるからだ。」
「人はときによって
いつも自分の好むようには生きられない、ときには自分の望ましくないことに
も全力を尽くさなければならないことがあるものだ。」
自分は人間として生きていて、枯草を踏んでゆく一歩、一歩に、自分が現に生
きていることを感じ、これからなにごとが起こるにせよ、それは自分にとって
生きた経験であり、こんなふうにならなければ経験することのできないものを、
経験することができるのだとおもった。
落ちるところまで落ちても、現実を直視しなければいけない…眼を伏せればそ
れで済む なんて事はありえない。
迷ったり選んだりするときではない。どっちを選ぶかということもなし、迷う
こともない。おれは自分の立つべきところに立っている、笹の根切りをし、そ
れを掘り起こすことも、一日じゅう腹をへらしていることも、みんなみずから
求めた道に続いているものだ
彼は徒歩組屋敷の人たちのことを思い、新畠の人たちのことを思った。条件に
よって生活を支配される者と、どんな条件の中でも自分の生活を作ってゆく者
とがある。大きく分けてその二つの生きかたがあり、そしてそのどちらも人間
の生きかたなのだ、と彼は思った。
人間はどこまでも人間であり、弱さや欠点を持たない者はない、ただ自分に与
えられた職に責任を感じ、その職能をはたすために努力するかしないか、とい
うところに差ができてくるだけだ。
「周囲の評価とその人間の本質とは、必ずしも一致しないということだ」
「人間の真価は、その人が死んだとき、なにを為したかで決まるのではなく、
彼が生きていたとき、なにを為そうとしたかである」