「是非に及ばず」
という言葉の意味の解釈です。
従来、この言葉は「仕方がない」という諦めの言葉と解釈されてきました。確かに広辞苑を引いても「是非に及ばず」は「仕方がない」という意味だと書かれています。そこで、「光秀のような周到な人間の企てたことなので逃げることができない、仕方ない、あきらめた」と解釈されてきたわけです。
ところが、『信長公記』に書かれている文脈からは、どうしてもそういう意味とはならないのです。『信長公記』の文脈は次の通りです。
「是れは謀叛か、如何なる者の企てぞと、御諚(おおせ)のところに、森乱(森乱丸)申す様に、明智が者と見え申し候と、言上候へば、是非に及ばずと、上意候。透(すき)をあらせず、御殿へ乗り入れ、・・・」
この文章には大事なことが2つあります。
一つ目は「是非に及ばず」と「上意(命令)」したということです。この言葉は命令として発せられたものなのです。「あきらめた!」という命令はありえません。
二つ目は「直ちに御殿へ移って戦闘態勢をとった」ということです。あきらめた人間のすることではありません。
「命令して戦闘態勢をとった」という文脈からすると「是非に及ばず!」は全く別の意味であることがはっきりわかります。
そこで原点に戻って「是非」の意味を確認する必要が出てきます。広辞苑で引くと次の解釈が書かれています。
①是と非。道理にかなうこととかなわないこと。よしあし。正邪。
②よしあしの判断・批評。品評。
つまり、信長は「なに、光秀の謀叛らしいと?! それが是か非か、本当かどうか、論ずる必要はない!それよりも即刻戦え!」という意味で森乱丸に命じたのです。これが本稿の結論です。