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江戸という幻景
« 投稿日:: 3月 01, 2013, 11:56:07 pm »
書名:江戸という幻景
著者:渡辺 京二
発行所:弦書房
発行年月日:2004/6/30
ページ:259頁
定価:2400円+税

「逝きし世の面影」の続編、『西日本新聞』連載したものに加筆修正した作品。「
逝きし世の面影」は江戸時代末期から維新後に日本にやって来た欧米人の記録を元
に構成してあったが、今度は国内の資料に目を転じて、それらの資料から「逝きし
世の面影」に書かれたことの正しいことを証明するため精査、逸話などを江戸の人
々の風貌を活写、日本人の陽気さ、無邪気さ、人なつこさ、こだわりのなさ、礼儀
正しさ、親切、その豊かな心映えを現代の我々に二度と戻れない郷愁を誘う。
江戸の古き良き時代を追憶的にみていくのではなく、今まで庶民にとって酷い時代
と言われていた時代がそれとは全く違っていたことに驚く。現代よりも良いところ
もあった。しかし当然デメリットも一杯あった。何しろ今から比べれは不便なこと
は間違いない。ただ九州の老齢の女人が3人ずれで日光参りをした話など5ヶ月を掛
けて日本縦断の旅をしてまた九州に安全に戻っている。途中の大阪、京都、お伊勢
さん、善光寺、江戸、こんぴらさん等くまなく巡って。それが特別のことではなく
、普通の庶民が出来ていた社会。今そんな時間、費用を費やして行ける人がどれだ
けいるだろう。「三行半」というと夫が妻を追い出すときに書くものと思われてい
るが、実は妻の要求から間違いなく離婚した事を証明する書類だった。など知らな
かったことが一杯、江戸に対する認識が一変する本です。すくなくとも幕府、役人
は今とはずっと決断と責任と人情があったことは間違いなさそうです。勿論庶民に
も。

本書より
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・農民の生活を豊かで幸せなものと感じたし、日本民衆が東洋的専制の下で奴隷的
に隷従しているどころか、驚くべき自由を享受していると記したものだ。
・ことに触れて赤児のような純真きわまりない感情を流露する人々だった。
・情愛を基本的な気分とするものだった。乞食に情をそそぎ、精神薄弱者にも生き
る空間を与えた。
・旅人の中に病人や事情のありそうな者がいると、必ず誰かが面倒を見た。
・外国人は、当時の日本人の宗教心の薄さと、特に武士階級の「無神論」に注目し
た。
・幕末の人々は、死をいたって気軽なものとみなし、時には冗談の種にさえした。
・仕事は決して労役ではなく、生命活動そのものだった。そして、家は、おのれの
生命活動たる仕事を、天の意志として定位するためのシステムだった。
・結婚の第一義的な意味は、家を受け継いで手落ちなく経営してゆく上での協力者
の採用というところにあった。
・遊女の身が悲惨とは誰も全く思わなかった。
・夫が一方的に妻を離縁して追い出すことはできず、訴訟に訴えなければならなか
ったし、妻の飛び出し離婚も少なくなかった。
・恋は未婚の男女間、もしくは婚姻外の出来事だった。外国人はびっくりしたもの
だが、夫婦間に恋愛感情が持続するというのは当時の人々にとって想像外のことだ
った。
・武家の主従は、それほど窮屈で隷属的な関係ではなかった。
・武士と庶人の間もそれほど階級的にかけ隔たったものではなかった。
・家の永続と反映を主とする考えから、跡継ぎを血のつながりによってよりも、当
人の才器によって選ぶという習慣が、武家・商家・農家とを問わず、多くの庶人の
子の社会的上昇をもたらしていた。
・幕末になると、多くの庶人が士分に登用されたし、庶人の子が学者となり幕府に
召されたのはずっと以前からだ。
・武士が藩籍を離脱するのもかなり自由だった。
・一揆が起こったのは、領主とは領民を育み慈しむものだとする理念に、領主ない
し藩政がそむいたと判断された時に事態を是正するためだった
・幕府は、強訴・逃散は禁じたが、越訴は事実上認めていたし、罰されても軽罪だ
った。
・強訴・逃散についても、処罰は重い場合も軽い場合もあり、全く処罰されないこ
ともあった。
・藩主は家臣団の意向に制約されていて、それと対立すれば幽閉されることがあっ
た。
・文政年間に、ある外国人は、日本の裁判は厳しいが、社会のあらゆる階級に対し
て平等であって、最も厳格なる清潔さと公平さをもって行われていると推量される
と記し、また、安永年間に、別の外国人は、日本のように法が身分によって左右さ
れず、一方的な意図や権力によることなく、確実に遂行されている国は他にない、
と記している。 

・幕府の役人は天下を預かる重責を自覚して身をただし、庶人の師表でなければな
らぬという建前であったから、役人の庶人に対する乱暴や職権濫用には裁判でぬか
りなく制裁が科された。
・幕府の裁判は民衆の間に多くの信頼と「御威光」とを有していた。
・幕府で実際に裁判を担ったのは、評定所留役勘定組頭を長とする評定所留役達だ
ったが、彼らは清潔で賄賂をとるようなことは一切無かった。