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コロビマス
« 投稿日:: 3月 01, 2013, 10:24:57 pm »
書名:コロビマス
著者:山本 音也
発行所:文藝春秋
発行年月日:2003/5/15
ページ:382頁
定価:1905円+税

 キリスト教の考え方に天(神)が人を創る。万物を創造するというがある。イ
エズス会の宣教師として1610年30才で日本にやって来たクリストヴァン・フェレ
イラは上方地区の布教責任者として20年以上の長きに渡り活躍した。ザビエル以
来、豊臣秀吉の伴天連追放令(1587年)までは順調にキリスト教の布教が展開し
ていたが、フェレイラ来日はそれ以降、布教は地下活動をしていた。1633年宗門
奉行に捕縛され、拷問にあってキリスト教を棄教(ころんでしまう)してしまう


棄教したフェレイラは沢野忠庵を名乗り、日本人妻をめとり(子孫までいる)、
幕府の目明かし、他の転び伴天連(棄教した聖職者)と共に キリシタン取締りに
あたった。また通詞としても活動し、以後17年存命したという。遠藤周作の「
切支丹時代」にも描かれている。ポルトガル、スペインの当時のキリスト教の役
割(侵略のための先兵としての役割)、日本の中で急速にキリスト教が普及して
いったのか?日本の制度の問題(家、一族、領主)が大きく関わって伴天連追放
令が出ても隠れキリシタンが各地で地下活動を行っていく。フェレイラから見る
と日本のキリスト教はどこかで枝が違って、違った宗教になってしまっている。
そんな戸惑いを持ちながらキリスト教への疑惑。そして日本にはキリスト教の考
え方があわないと。緑の国土にはキリスト教は合わない。砂漠と灼熱の地がよく
似合う宗教と。日本では人が天(神)を創り。佛を創る。全く逆の考え方だと。
日本には100人いれば100人の神がいる。なかなか鋭い見方で綴っている。遠藤周
作の「沈黙」より良い作品ではないかと思う。