書名:武士の家計簿
「加賀藩御算用者」の幕末維新
著者:磯田 道史
発行所:新潮社
発行年月日:2003/4/10
ページ:222頁
定価:680円+税
加賀金沢藩の「御算用家」猪山家に残る「金沢藩猪山家文書」という(天保13年(1842)から明治12年(1879)年まで37年分の家計簿の話です。偶然神田の古書店で発見した「金沢藩猪山家文書」を手に入れた。著者、それを元に幕末、明治の世の武士の暮らしぶりをまとめている。
この「金沢藩猪山家文書」は加賀藩御算用者(おさんようもの)であった猪山直之。将軍家から前田家に輿入れした姫様のそろばん役を務めていた。加賀藩御算用者(おさんようもの)というのはそろばん、経理の能力がないとつとまらない役、したがって世襲であっても嫡子がその能力が無いときには娘に養子、または単純に養子を迎えて役目を果たしていた。また一家一役の時代、親子で御算用者を勤めることも出来た。猪山直之は父とこの御算用者を勤めていた。
そして姫様のそろばん役という出世して年収も増えるが支出もかさんで猪山家は火の車、年収の2倍を超える借金の整理に乗り出した。最初は天保13年に一念発起して家中の家財道具を売り払い、債権者と交渉して借金の整理に成功。「二度と借金地獄に落ちるまい」と、それ以後、家計簿をつけはじめた。藩の経理の仕事同じように非常に緻密に饅頭一つ買っても記録している。猪山家の家計の詳細がよく判る史料であり、「武士は飯は食わねど高楊枝」と言われていた武士の生活の一端がよく判る。
武士社会ではそろばん役人はかなり低い地位に見られていたが、明治維新の動乱期になると武力よりも経理のできる人が重宝され、直之の息子猪山成之は幕府の支援に京都に出るが、幕府の崩壊ととも明治政府の軍事指揮官・大村益次郎にヘッドハンティングされて兵部省に入り、戊辰戦争の兵站(兵何人、何日、食料は、武器は、調達は)を担う。その後海軍主計として東京に単身赴任する。年収は明治士族150万円程度であったときに3600万円位貰っていたことになる。大村益次郎が暗殺されると猪山成之金沢に戻る。子孫は海軍に奉職している。
武士家計は、「身分費用」身分が高い分召使いを雇う、親類と同僚、上司とほ付き合い費用、武士らしい儀礼行事を行う費用、そして先祖・神・仏を祭る費用、など百姓・町人よりも高くつく。これを出さないと武家社会からははじき出され、生きていけなくなる。この「身分費用」が幕末になってくると俸禄が減らされて身分収入(武士身分であることの収入)が半減する。江戸時代の終わりになると「武士であることの費用」の負担に耐えられなくなっていった。
また武士の俸禄は「切米40俵」などというように給金で貰っていた家、または知行150石として知行地を貰っていた家の2種があるが、実際は知行地は肩書きだけで、その知行地にいったこともそこの農民とも付き合いがない。したがって土地に執着もしない。これが明治になって領地召し上げに大反乱が起こらなかった理由の一つではないか?
九州・西日本の方は知行地に実際いって上士、郷士など百姓をしながら事あるときは戦に参加する士として組織されていた。したがって佐賀の乱、西南の役などは領地没収が直接の原因でしょう。
今まで知っていた江戸時代とは違った世界がみえてくる楽しい本です。映画にもなっています。