書名:蘇我氏の正体
著者:関 裕二
発行所:新潮社
発行年月日:2009/5/1
ページ:277頁
定価:476円+税
古代史を大胆に推定しています。神功皇后と武内宿禰の子供が応神天皇、仲哀天皇は架空の人物。神功皇后と武内宿禰がヤマト朝廷より九州に派遣された。神功皇后は邪馬台国卑弥呼を継いだとされる台与のことだと。台与が卑弥呼を殺した。そしてヤマト朝廷よりあまりにも強力になった神功皇后、武内宿禰のヤマトへの帰還を阻止して、恨みを抱きながら南九州で亡くなった。二人の意志を継いだ応神天皇が長い期間を経てヤマトに帰還した。
また武内宿禰は蘇我氏の祖であり、蘇我氏は大王だった。しかし中臣鎌足(藤原氏)と中大兄皇子が蘇我入鹿、蝦夷を滅ぼしてしまった。藤原不比等が作らせたとされる日本書紀には蘇我氏の証跡をいかに隠すか、蘇我氏を無視した書き方をしている。
何故蘇我氏をそんなに恐れたか?蘇我氏が祟る神、祟る神としての条件はある程度勢力を持ち、正統は出自であり、不遇な扱い、冷酷な扱いをされて恨みを持ちながら滅ぼされた人、族。神功皇后、武内宿禰は十分その資格があるという。そして後の大和朝廷はその二人を出雲大社、伊勢神宮に祀って祟りを鎮めることを行った。後生まで延々と祀られているのはそれだか藤原氏が恐れていた。
石舞台古墳は蘇我馬子の墓と言われているが、何故巨大な石が剥き出しで残っていたのだろう。仁徳天皇陵なども見ても分かるように古墳は土が覆われていれば、石室などが剥き出しになるはずがない。蘇我氏にくしの藤原氏が無理矢理その土を剥がし、破壊したのであろう。
蘇我蝦夷、入鹿は改革派であり、尊仏派であり有能な人物だった。また出自も確かな尊敬すべき人物だった。しかしどこの馬の骨とも分からない中大兄皇子、中臣鎌足たちのクーデターで滅ばされてしまった。その滅ぼした蘇我氏の幻を恐れて藤原氏は日本書紀の中から蘇我氏を消去した。でも断片が残っていた。その断片を推理したのがこの書だと著者は言っているように思う。
従来の定説に大胆に挑戦しているが、少しつめが甘いのと論理的ではなく、なんとなく感性で書いている感じ、話としては面白いが、それ以上でもそれ以下でもという感じです。それと話をわざと複雑にしながら書いているような感じがする。一つのことを言うのにあまりにも他の事例、他の氏族の、神話などを参照しすぎている。とはいえ古代に思いをはせながら読んで空想してみるのも楽しいもの。