書名:日本国憲法の二○○日
著者:半藤 一利
発行所:プレジデント社
発行年月日:2003/5/31
ページ:322頁
定価:1600 円+税
日本国憲法は1945年8月15日ポツダム宣言受諾から始まる。その200日に焦点を当てて日本国憲法が成立するまでの出来事を時間順に、戦後の出来事とともに詳しく述べている。著者は中学4年(長岡中学)の時、中学生の視点、山田風太郎(大学生)の日記、その他いろいろな人の日記などを参考に当時の状況を再現している。
一言で言えば、連合国からみれば、昭和天皇の戦争責任は明白である。しかし日本占領の全権を持っていたマッカーサー元帥は占領政策をスムーズに進めるには天皇が必要であり、戦犯として法廷に立たせたらならば、占領軍100万人増員しても旨くいかない。そのため極東軍事裁判が始まるまでに連合国側に、戦後の日本が侵略的でなく、民主的な国家であることを示す必要があった。そのために強引に新憲法案を提示して天皇は象徴、世襲、戦争の放棄を必ず盛り込むように迫った。
そんな経緯で成立した日本国憲法。当時明治憲法を少し手直した松本試案、民間有志などの試案もあったが、全くアメリカの意図とは違っていた。その交渉に当たっていた白州次郎が悔しがった。しかし「自分たちで作ろうと押しつけられようと良い憲法だ。憲法でも中味は良い。この悔しさを晴らすためには自分たちでこの憲法以上のものをつくらないといけない」のような趣旨のことを言っている。
著者は東京大空襲20.3.10で逃げ回り、死の危機に直面した経験なども含めて中学生が戦後どう過ごしたか?綿密な調査のもとに当時の様子を再現している。著者が関している人に当時大学生だった山田風太郎、中学生の自分には全く考えることができなかったと。
戦後すぐに民主主義、そして戦前真っ暗史観、自虐的な風潮を助長したのは戦後すぐのNHKラジオ放送「真相はかうだ」という番組20.12.9から放送、GHQに迎合したわけでもないが戦争中の日本の軍隊がやったことは全て駄目なこと。大虐殺、侵略などと自虐的に放送を盛んに行った。それに追随して新聞も書き立てる。国民はそんなことなど関係なく今日を生きることに一杯。おなかが空いたおなかが空いた。またレッドパージで公職追放の時の自分の保身に走って、今まで仲間、上司など親しい人達を密告してあることないこと悪いことを言って自分だけ助かろうとした人々ばかりという。
でもそれが今に繋がっている。戦後生まれは「真相はこうだ」の影響を受けた戦争観で育ってきた。朝日新聞ような偏向報道がまかり取っている。戦争を賛美したのもマスコミ、そして自虐的にしたのもマスコミ。それもNHKの責任は重大。国営放送?公共放送?の違いが判っていなかった。当時の政府を批判したつもり誤った情報を流し続けた。これは日本の国民性もあるけれど、マスコミは肝に銘じる必要がある。民主主義は面倒くさい。自分で一つ一つ確かめ、納得する作業を続けなければいけない。何でもあなた任せにしているととんでもない世の中になってしまう。民主主義を守るのではなく、日々作っていくのだ。
堅い話題ですが、物語風に読み進めることができる本です。気楽に読めるけれど中味は重たい。でも読んでおく価値ある本だと思う。この200日の内に人の一生で経験できないようなドラスティックな出来事が次々と出てくる。じっくり考えている暇のない当時の人々の様子が伝わってくる。
読書メモ
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1945年8月15日(水)
快晴(名古屋36.5℃、京都36.3℃、東京32.3℃)、曇り(仙台25.1℃、盛岡29.9℃、札幌23.9℃)
占領軍(進駐軍)の兵士の数
1945年12月4日の進駐状況は、最も兵力の多い県の神奈川県で85,037人、次に長崎県で53,970人にのぼり、(沖縄を除き)日本全国で430,287人(うち英200人)になっていた。その後、日本国内で暴動も不穏な動きもなかっため20万人に減らした。
太平洋戦争と天気図、天気予報
http://www.bioweather.net/column/weather/contents/mame091.htm秋蝉も泣き蓑虫と泣くのみぞ 高浜虚子
いくたびか哭きて炎天さめゆけり 山口誓子
烈日の光と涙降りそそぐ 中村草田男
泣くときは泣くべし秋が咲けば萩 山口青邨
戦争の責任を感じて自殺した人々
阿南陸相、”海軍特攻隊の父”といわれた大西滝次郎中将、東部軍管区司令官田中静壹大将、参謀総長杉山元元帥、橋本邦彦元文部大臣、東北軍管区司令官吉本貞一大将、元侍従武官長本庄繁大将など8/15~23年10/20までに将官34名、佐官74名、陸海軍関係者527名(看護婦3名含む)、民間人は不明
・東条英機は逮捕される直前ピストル自殺を図るが、弾がそれて重体、アメリカ軍に輸血(ペニシリンと)をしてもらって生きながらえる。このため悪評が広まった。今でもよく言う人が少ない。
ふりつもる今雪にたへていろかへぬ 松そをゝしき人もかくあれ 昭和天皇
わが家は八人家族三畳によく寝られると人はいうなり
嘆きつつ電気来ぬ夜のあくる間はいかに久しきものとかは知る
買い出しのいくのの道の遠ければまだ粥も見ずうちの膳立
忍ぶれど色に出にけりわが暮らし銭がないかと人の問うまで
蚤しらみうつりにけりないたずらに十円出して長湯せし間に
朝食ったままの空腹忍ぶれどあまりてなどか飯の恋しき
敗戦の嵐のあとの花ならで散りゆくものは道義なりけり
「五月初三。雨。米人の作りし日本憲法今日より実施の由。笑う可し」永井荷風日記
笑う可しは含蓄のある言葉です。じっくりと考えてみたい。