金、金の世の中で横浜市の市長候補もやっぱり経済優先、金儲けの上手い人(過去の成功者?)、こんな人しか出てこない。どっぷりと金の社会に浸かってしまった世の中になってしまったような気がします。ちょっと日本の文化について振り返ってみると、これも50年ほどのことでは?
西洋志向に踏み切ったツケがいまここに出現したそんな気もします。そんなことを考えさせられる文章に出会いました。
平安貴族は権力もお金も握っていた。武家社会は権力は握ったが、お金は不浄なものと遠ざかった。お金の本質を知っていた先人がいたのだと思う。鎌倉幕府にしても足利幕府にしても支配地は殆どなく地方の豪族の上に乗かった権力機構に過ぎなかった。有力豪族が反乱するとそれで基盤が危うくなってしまう構造。戦国時代も地方守護の反乱から始まった。江戸時代に国家百年の計を立てた人物がいた。幕府の要職には譜代大名で固め、禄高は非常に少ない。禄高の多い外様大名には要職に就かせない。理不尽のようであるが、権力とお金の分離を上手く仕込んでいた。元々農業社会、商人の富に対する対策は旨くいかなかった。
明治時代になって西洋一辺倒になってしまったが、まだ日本の文化は底流に脈々と流れていた。昭和20年からはそれらが全て否定されて全く鑑みられなくなった。特に経済成長を支えた企業などでは文化?は死語、お金、お金に変わってしまった。メリットもあった。でも最近ではデメリットも深刻な問題になってきているように思う。人の生き様が変わった「何のために生きるのか?」「幸福は?」今、少し考えて立ち止まっても「飢え死することはなくなった」良いのでは?
「額に汗して働いた分だけで質素に暮らす.それが幸福」をじっくりとかみしめてみるのもいいのでは?
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文化は権力から離れる(武田邦彦より)
権力はお金から離れ,文化は権力から離れようとした.それが日本文化だった.
貴族に変わって武士が権力を握るようになると,武士はお金から遠ざかったが,それは「お金が権力を腐敗させる」という原理原則があるからである.
これに対してヨーロッパや中国では「権力とはお金に恵まれることである」というのが普通の考え方であった.時によっては権力はお金を多く貰うためのものであり,それこそがこの世の栄達だった.
日本の支配階級がお金を遠ざけた結果,二つのことが起こった.
1) 「お上」は信頼できるものであったので,今でも日本人が「お上」を信用するところが見られる.これはとても素晴らしいことだが,ヨーロッパ文化に影響された現在のお役人や政治家のもとで,やがてこの日本文化が崩れると予想される.(私は抵抗するが)
2) 江戸末期に日本を訪れたヨーロッパ人はそろって日本の民衆が幸福だったと証言している。ヨーロッパでは貴族が豊かな生活をするために政治をおこなったが,日本では「民の幸福」のために政治が行われたからである。
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ところで,それでも日本文化は「権力」から離れようとした。権力はどうしてもこの世の汚濁に乱れる.時に戦い,時に落とし入れ,時に自らを有利にしなければならない.
一方,文化とは「心」である.心の文化はものの豊かさとは切り離されていなければ飛び立たないので,権力はその重荷になるからである。
「お金を貰うと作品が悪くなる」という感覚は現代の人間国宝や職人に強い意識として残っている.彼等は極端に「供応」,「接待」,「良い待遇」を嫌い,「心のこもった素朴な品々」を好む.
私が伝統材料を研究していて強く感じたのは,日本の職人の質素さ,生活のスタイルであり,そこから現代を見ると,現代の「文化人」とは「文化を自らの栄達やお金儲けの道具としている」と見える。
名古屋大学時代,そんな素朴で質素な職人と会いに行ったときのことである.そのツアーには「日本で有数の有名な教授」が数名,含まれていたが,その教授も,「普通」の教授も,また学生も,まったく同じ態度で職人と話し,尊敬し,奉っている様子をみて,ある中国人がビックリして私に言った.
「日本人は偉いですね.偉い先生方がこんなに職人を尊敬しているとは! こんなに丁寧に職人に話しかけているなんて,考えられません.職人より先生の方が偉いのに・・・ 私は本当に良いことを学びました.」
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日本の武士道,日本の文化は,世界に誇るべきものである.その文化を中心としてこの日本を運営していけば,私たちの子孫もまた豊かな心をもって人生を送れるだろう。
額に汗して働いた分だけで質素に暮らす.それが幸福なのだという感覚から見ると,エコポイントや選挙の争点になっている子供に対する補助金など,わたしには日本文化には見えない.