書名:生きて候
著者:安部 龍太郎
発行所:集英社
発行年月日:2002/10/25
ページ:573頁
定価:1900円+税
徳川家康の家臣本多正信の次男本田政重の生涯を描いた作品です。本多正信は一向一揆に加わって徳川家康の元から出奔して20年、その後家臣として復帰し、内政の才を認められてどんどん出世していく。しかし武闘派からは戦わずして禄を得ていることで嫌われている。その息子の一人本田正純も秀忠に重用されていた。
もう一人の息子政重は槍奉行倉橋長右衛門の養子として育てられ、武勇にも優れていた。時は戦国時代も終末期、秀吉の晩年朝鮮への出兵、関ヶ原の戦い、豊臣家滅亡の時代に反徳川という立場で生きた一人の武将として描いている。
宇喜多秀家からは友として迎えられ、前田利家は槍の師匠、前田俊政(利長の子)は弟子。前田利家より朝鮮の情報が少しも入ってこない。すべて石田三成が隠している。慶長の役の姿を見てきてくれと頼まれる。そこには悲惨な戦争の実体があった。勝っていると報告されていたが、補給はない。現地調達。食べるものにも困っている兵士達の現実をみて、この戦争を止めさせなければと総大将宇喜多秀家に会って相談する。日本に戻って石田三成に会い、秀吉の命も尽きることを知る。それを国内は元より、明国にも知らせずに如何に戦線を縮小して撤退するかを相談する。その策とは城つくり、土豪作りなどにかり出した百姓達を先に日本に戻すことだった。秀吉の死が知られてしまったら百姓達をほっておいて、武将達は一斉に引き上げてします。歴史に汚点を残すと必死に、徹底に専念する。
関ヶ原の戦いでは西軍の宇喜多隊に家老(2万石)として迎えられ、戦い、敗れる。敗残の兵となりながら生きながらえる。同じく生き残った宇喜多秀家を薩摩島津家に逃す。
その後加賀百万石前田家の家老(5万石)に迎えられ藩政に尽くす。この家は幕末まで続く。この本田政重のことは殆ど余に知られていない。まったく知らなかった人物ですが、徳川家康が絶対の時代に反徳川で命を保った希有な人、謎の多い人ですがこの物語を読む限りなかなか魅力もある人という気もする。