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天災は忘れた頃にやってくる
« 投稿日:: 11月 13, 2012, 11:00:17 pm »
 天災は忘れた頃にやってくる
昭和9年 寺田寅彦

http://www.hiroi.isics.u-tokyo.ac.jp/index-genzai_no_sigoto-koten-tensaitokokubo.htm

「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉の出典とされている。


作家名: 寺田 寅彦
作家名読み: てらだ とらひこ
ローマ字表記: Terada, Torahiko
生年: 1878-11-28
没年: 1935-12-31
人物について: 1878-1935。地球物理学者。漱石の門下生でもあり、吉村冬彦の
筆名で作品を書いた。数多くの随筆があり、いまでも多数の読者に愛読されてい
る。

天災と国防
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 「非常時」というなんとなく不気味なしかしはっきりした意味の分りにくい
言葉が流行り出したのはいつ頃からであったか思出せないが、ただ近来何かし
ら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向側からこっそ
り覗いているらしいという、云わば取止めのない悪夢のような不安の陰影が国
民全体の意識の底層に揺曳していることは事実である。そうして、その不安の
渦巻の廻転する中心点はと云えばやはり近き将来に期待される国際的折衝の難
関であることはもちろんである。

 そういう不安を更に煽り立てでもするように、今年になってから色々の天変
地異が踵を次いで我国土を襲い、そうして署しい人命と財産を奪ったように見
える。あの恐ろしい函館の大火や近くは北陸地方の水害の記憶がまだ生ま生ま
しいうちに、更に九月二十一日の近畿地方大風水害が突発して、その損害は容
易に評価の出来ないほど甚大なものであるように見える。国際的のいわゆる「
非常時」は、少くも現在においては、無形な実証のないものであるが、これら
の天変地異の「非常時」は最も具象的な眼前の事実としてその惨状を暴露して
いるのである。

 一家のうちでも、どうかすると、直接の因果関係の考えられないような色々
な不幸が頻発することがある。すると人はきっと何かしら神秘的な因果応報の
作用を想像して祈祷や厄払いの他力にすがろうとする。国土に災禍の続起する
場合にも同様である。しかし統計に関する数理から考えてみると、一家なり一
国なりにある年は災禍が重畳しまた他の年には全く無事な廻り合わせが来ると
いうことは、純粋な偶然の結果としても当然期待され得る「自然変異」の現象
であって、別に必しも怪力乱神を語るには当らないであろうと思われる。悪い
年廻りはむしろいつかは廻って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良
い年廻りの間に十分の用意をしておかなければならないということは、実に明
白過ぎるほど明白なことであるが、またこれほど万人が縞麗に忘れ勝なことも
稀である。もっともこれを忘れているおかげで今日を楽しむことが出来るのだ
という人があるかも知れないのであるが、それは個人めいめいの哲学に任せる
として、少くも一国の為政の枢機に参与する人々だけは、この健忘症に対する
診療を常々怠らないようにしてもらいたいと思う次第である。

 日本はその地理的の位置が極めて特殊であるために国際的にも特殊な関係が
生じ色々な仮想敵国に対する特殊な防備の必要を生じると同様に、気象学的地
球物理学的にもまた極めて特殊な環境の支配を受けているために、その結果と
して特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命の下に置かれてい
ることを一日も忘れてはならないはずである。

 地震津浪颱風のごとき西欧文明諸国の多くの国々にも全然無いとは云われな
いまでも、頻繁に我邦のように劇甚な災禍を及ぼすことは甚だ稀であると云っ
てもよい。我邦のようにこう云う災禍の頻繁であるということは一面から見れ
ば我邦の国民性の上に良い影響を及ぼしていることも否定し難いことであって、
数千年来の災禍の試煉によって日本国民特有の色々な国民性の優れた諸相が作
り上げられたことも事実である。

 しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられ勝な
重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がそ
の劇烈の度を増すという事実である。

 人類がまだ草昧の時代を脱しなかった頃、岩丈な岩山の洞窟の中に住まって
いたとすれば、大抵の地震や暴風でも平気であったろうし、これらの天変によ
って破壊さるべきなんらの造営物をも持ち合わせなかったのである。もう少し
文化が進んで小屋を作るようになっても、テントか掘立小屋のようなものであ
ってみれば、地震にはかえって絶対安全であり、またたとえ風に飛ばされてし
まっても復旧は甚だ容易である。とにかくこういう時代には、人間は極端に自
然に従順であって、自然に逆らうような大それた企ては何もしなかったからよ
かったのである。文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野
心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するような色々の造営物
を作った。そうして天晴れ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、ど
うかした拍子に檻を破った猛獣の大群のように、自然が暴れ出して高楼を倒潰
せしめ堤防を崩壊させて人命を危くし財産を亡ぼす。その災禍を起させたもと
の起りは天然に反抗する人間の細工であると云っても不当ではないはずである、
災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災
害を大きくするように努力しているものは誰あろう文明人そのものなのである。

 もう一つ文明の進歩のために生じた対自然関係の著しい変化がある。それは
人間の団体、なかんずくいわゆる国家あるいは国民と称するものの有機的結合
が進化し、その内部機構の分化が著しく進展して来たために、その有機系のあ
る一部の損害が系全体に対して甚しく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、
時には一小部分の傷害が全系統に致命的となり得る恐れがあるようになったと
いうことである。

 単細胞動物のようなものでは個体を裁断しても、各片が平気で生命を持続す
ることが出来るし、もう少し高等なものでも、肢節を切断すれば、その痕跡か
ら代りが芽を吹くという事もある。しかし高等動物になると、そういう融通が
利かなくなって、針一本でも打ち処次第では生命を亡うようになる。

 先住アイヌが日本の大部に住んでいた頃に例えば大正十二年の関東大震か、
今度の九月二十一日のような魔風が襲来したと想像してみる。彼等の宗教的畏
怖の念はわれわれの想像以上に強烈であったであろうが、彼等の受けた物質的
損害は些細なものであったに相違ない。前にも述べたように彼等の小屋にとっ
ては弱震も烈震も効果において大した相違はないであろうし、毎秒二十米の風
も毎秒六十米の風もやはり結果においてほぼ同等であったろうと想像される。
そうして、野生の鳥獣が地震や風雨に堪えるようにこれら未開の民もまた年々
歳々の天変を案外楽に凌いで種族を維持して来たに相違ない。そうして食物も
衣服も住居もめいめいが自身の労力によって獲得するのであるから、天災によ
る損害は結局各個人めいめいの損害であって、その回復もまためいめいの仕事
であり、まためいめいの力で回復し得られないような損害は始からありようが
ないはずである。文化が進むに従って個人が社会を作り、職業の分化が起って
来ると事情は未開時代と全然変って来る。天災による個人の損害はもはやその
個人だけの迷惑では済まなくなって来る。村の瀦水池や共同水車小屋が破壊さ
れれば多数の村民は同時にその損害の余響を受けるであろう。

 二十世紀の現代では日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運
ぶ電線やパイプやが縦横に交叉し、色々な交通網が隙間もなく張り渡されてい
る有様は高等動物の神経や血管と同様である。その神経や血管の一箇所に故障
が起ればその影響はたちまち全体に波及するであろう。今度の暴風で畿内地方
の電信が不通になったために、どれだけの不都合が全国に波及したかを考えて
みればこの事は諒解されるであろう。

 これほど大事な神経や血管であるから天然の設計に成る動物体内ではこれら
の器官が実に巧妙な仕掛けで注意深く保護されているのであるが、一国の神経
であり血管である送電線は野天に吹き曝らしで風や雪がちょっとばかりつよく
触れればすぐに切断するのである。市民の栄養を供給する水道はちょっとした
地震で断絶するのである。もっとも、送電線にしても工学者の計算によって相
当な風圧を考慮し若干の安全係数をかけて設計してあるはずであるが、変化の
烈しい風圧を静力学的に考え、しかもロビンソン風速計で測った平均風速だけ
を目安にして勘定したりするようなアカデミックな方法によって作ったもので
は、弛張の烈しい風の息の偽週期的衝撃に堪えないのはむしろ当然のことであ
ろう。

 それで、文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという
事実を十分に自覚して、そして平生からそれに対する防禦策を講じなければな
らないはずであるのに、それが一向に出来ていないのはどういう訳であるか。
その主なる原因は、畢竟そういう天災が極めて稀にしか起らないで、ちょうど
人間が前車の顛覆を忘れた頃にそろそろ後車を引出すようになるからであろう。
しかし昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積してその教に頼ることが甚だ
忠実であった。過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存し、時
の試煉に堪えたような建築様式のみを墨守して来た。それだからそうした経験
に従って造られたものは関東震災でも多くは助かっているのである。大震後横
浜から鎌倉へかけて被害の状況を見学に行ったとき、かの地方の丘陵の麓を縫
う古い村家が存外平気で残っているのに、田圃の中に発展した新開地の新式家
屋がひどくめちゃめちゃに破壊されているのを見た時につくづくそういう事を
考えさせられたのであったが、今度の関西の風害でも、古い神社仏閣などは存
外余りいたまないのに、時の試煉を経ない新様式の学校や工場が無残に倒潰し
てしまったという話を聞いて一層その感を深くしている次第である。やはり文
明の力を買被って自然を侮り過ぎた結果からそういうことになったのではない
かと想像される。新聞の報ずるところによると幸に当局でもこの点に注意して
この際各種建築被害の比較的研究を徹底的に遂行することになったらしいから、
今回の苦い経験が無駄になるような事は万に一つもあるまいと思うが、しかし
これは決して当局者だけに任すべき問題ではなく国民全体が日常めいめいに深
く留意すべきことであろうと思われる。

 小学校の倒潰の夥しいのは実に不可思議である。ある友人は国辱中の大国辱
だと云って憤慨している。ちょっと勘定してみると普通家屋の全潰百三十五に
対し学校の全潰一の割合である。実に驚くべき比例である。これには色々の理
由があるであろうが、要するに時の試煉を経ない造営物が今度の試験で見事に
落第したと見ることは出来るであろう。

 小学校建築には政党政治の宿弊に根を引いた不正な施工が附纏っているとい
うゴシップもあって、小学生を殺したものは○○議員だと皮肉をいうものさえ
ある。あるいは吹抜き廊下のせいだという甚だ手取り早で少し疑わしい学説も
ある。あるいはまた大概の学校は周囲が広い明地に囲まれているために風当り
が強く、その上に二階建であるために一層いけないという解釈もある。いずれ
も本当かも知れない。しかしいずれにしても、今度のような烈風の可能性を知
らなかったあるいは忘れていたことがすべての災厄の根本原因である事には疑
ない。そうしてまた、工事に関係する技術者が我邦特有の気象に関する深い知
識を欠き、通り一遍の西洋直伝の風圧計算のみを頼りにしたためもあるのでは
ないかと想像される。これについては甚だ暦越ながらこの際一般工学者の謙虚
な反省を促がしたいと思う次第である。天然を相手にする工事では西洋の工学
のみに頼ることは出来ないのではないかというのが自分の年来の疑であるから
である。

     今度の大阪や高知県東部の災害は殿風による高潮のためにその惨禍
を倍加したようである。まだ十分な調査資料を手にしないから確実なことは云
われないが、最もひどい損    害を受けた主な区域は恐らくやはり明治以
後になってから急激に発展した新市街地ではないかと想像される。災害史によ
ると、難波や土佐の沿岸は古来しばしば暴風時の高     潮のために薙倒
された経験をもっている。それで明治以前にはそういう危険のあるような場所
には自然に人間の集落が稀薄になっていたのではないかと想像される。古い民
家    の集落の分布は一見偶然のようであっても、多くの場合にそうした
進化論的の意義があるからである。その大事な深い意義が、浅薄な「教科書学
問」の横行のために躁躍され    忘却されてしまった。そうして付焼刃の
文明に陶酔した人間はもうすっかり天然の支配に成効したとのみ思上がって処
嫌わず薄弱な家を立て連ね、そうして枕を高くして来るべ     き審判の
日をうかうかと待っていたのではないかという疑も起し得られる。もっともこ
れは単なる想像であるが、しかし自分が最近に中央線の鉄道を通過した機会に
信州や甲州     の沿線における暴風被害を瞥見した結果気のついた一事
は、停車場附近の新開町の被害が相当多い場所でも旧い昔から土着と思わるる
村落の被害が意外に少ないという例    の多かった事である。これは、一
つには建築様式の相違にもよるであろうが、また一つにはいわゆる地の利によ
るであろう。旧村落は「自然淘汰」という時の試煉に堪えた場所     に
「適者」として「生存」しているのに反して、停車場というものの位置は気象
的条件などということは全然無視して官僚的政治的経済的な立場からのみ割出
して決定されている    ためではないかと思われるからである。

 それはとにかく、今度の風害が「いわゆる非常時」の最後の危機の出現と時
を同じゅうしなかったのは何よりの仕合せであったと思う。これが戦禍と重な
り合って起ったとしたらその結果はどうなったであろうか、想像するだけでも
恐ろしいことである。弘安の昔と昭和の今日とでは世の中が一変していること
を忘れてはならないのである。

 戦争は是非共避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、
天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させる訳には行かない。その上に、
いついかなる程度の地震暴風津浪洪水が来るか今のところ容易に予知すること
が出来ない。最後通牒も何もなしに突然襲来するのである。それだから国家を
脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである。もっともこうした天然
の敵のために蒙る損害は敵国の侵略によって起るべき被害に比べて小さいとい
う人があるかも知れないが、それは必しもそうは云われない。例えば安政元年
の大震のような大規模のものが襲来すれば、東京から福岡に到るまでのあらゆ
る大小都市の重要な文化設備が一時に脅かされ、西半日本の神経系統と循環系
統に相当ひどい故障が起って有機体としての一国の生活機能に著しい麻痺症状
を惹起する恐れがある。万一にも大都市の水道瀦水池の堤防でも決壊すれば市
民がたちまち日々の飲用水に困るばかりでなく、氾濫する大量の流水の勢力は
少くも数村を微塵に薙倒し、多数の犠牲者を出すであろう。水電の堰堤が破れ
ても同様な犠牲を生じるばかりか、都市は暗闇になり肝心な動力網の源が一度
に濁れてしまうことになる。

 こういうこの世の地獄の出現は、歴史の教うるところがら判断して決して単
なる杞憂ではない。しかも安政年間には電信も鉄道も電力網も水道もなかった
から幸であったが、次に起る「安政地震」には事情が全然ちがうということを
忘れてはならない。

 国家の安全を脅かす敵国に対する国防策は現に政府当局の間で熱心に研究さ
れているであろうが、ほとんど同じように一国の運命に影響する可能性の豊富
な大天災に対する国防策は政府のどこで誰が研究しいかなる施設を準備してい
るか甚だ心元ない有様である。想うに日本のような特殊な天然の敵を四面に控
えた国では、陸軍海軍の外にもう一つ科学的国防の常備軍を設け、日常の研究
と訓練によって非常時に備えるのが当然ではないかと思われる。陸海軍の防備
がいかに十分であっても肝心な戦争の最中に安政程度の大地震や今回の颱風あ
るいはそれ以上のものが軍事に関する首脳の設備に大損害を与えたら一体どう
いうことになるであろうか。そういうことはそうめったにないと云って安心し
ていてもよいものであろうか。

 我邦の地震学者や気象学者は従来かかる国難を予想してしばしば当局と国民
とに警告を与えたはずであるが、当局は目前の政務に追われ、国民はその日の
生活に忙わしくて、そうした忠言に耳を仮す暇がなかったように見える。誠に
遺憾なことである。

 颱風の襲来を未然に予知し、その進路とその勢力の消長とを今よりもより確
実に予測するためには、どうしても太平洋上並に日本海上に若干の観測地点を
必要とし、その上にまた大陸方面からオホック海方面までも観測網を拡げる必
要があるように思われる。しかるに現在では細長い日本島弧の上に、云わばた
だ一聯の念珠のように観測所の列が分布しているだけである。たとえて云わば
奥州街道から来るか東海道から来るか信越線から来るかも知れない敵の襲来に
備えるために、ただ中央線の沿線だけに哨兵を置いてあるようなものである。

 新聞記事によると、アメリカでは太平洋上に浮飛行場を設けて横断飛行の足
がかりにする計画があるということである。嘘かも知れないがしかしアメリカ
人にとっては十分可能なことである。もしこれが可能とすれば、洋上に浮観測
所の設置ということも強ち学究の描き出した空中楼閣だとばかりは云われない
であろう。五十年百年の後には恐らく常識的になるべき種類のことではないか
と想像される。

 人類が進歩するに従って愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思
う。砲煙弾雨の中に身命を賭して敵の陣営に突撃するのもたしかに貴い日本魂
であるが、○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力し
て適当な科学的対策を講ずるのもまた現代に相応わしい大和魂の進化の一相と
して期待してしかるべきことではないかと思われる。天災の起った時に始めて
大急ぎでそうした愛国心を発揮するのも結構であるが、昆虫や鳥獣でない二十
世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはもう少しちがった、もう少し合理的
な様式があってしかるべきではないかと思う次第である。