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福島県の歴史
« 投稿日:: 5月 06, 2013, 11:17:44 pm »
書名:福島県の歴史
著者:丸井 佳寿子
発行所:山川出版社
発行年月日:1997/4/25
ページ:298頁
定価:2400円+税

福島の歴史というと殆どの人が知らないのではかくいう私も本書を読むまで、会津藩の保科正之、松平定信、松平容保、戊辰戦争、白虎隊など残片的なことしかしらなかった。都から見るとみちのく陸奥は白河の関、勿来の関以北は殆ど話題にもならなかった。表舞台になかなか登場してこなかった。福島は大きく分けて中通り、浜通り、会津に分けられる。

そしてそれらの地域は同じ県内でも歴史は違っている。清原氏の滅亡の時の佐藤兄弟は伊達郡、鎌倉幕府が滅亡、足利政権の成立過程で、鎌倉府関東公方が支配した時代。応仁の乱以降の豪族による割拠の時代。1400年頃に伊達政宗という人がいた。勿論戦国時代の伊達政宗のことではない。鎌倉幕府が成立したとき鎌倉の御家人千葉氏が浜通りの北部相馬を支配するようになる。そして明治まで相馬中村藩(相馬氏)が700年存続していた不思議。

中通りは次々と支配地の変更、支配者の変更譜代の領地、幕府の領地などと江戸時代でも相当変わっている。会津も上杉、蒲生氏、保科氏(松平)と変遷している。福島という名前の由来も定かではないとのこと。大和朝廷の時代から奈良、平安、鎌倉、室町頃まで中央集権支配は一応確立していたことになっているが、実情は中央の役人が派遣されてきているが、絶対的支配下にあった訳でなく隙あらば反乱、独立の旺盛な地域だった。この歴史を読んでみると平泉のように文化芸術というものの発展が出てこない。残っていないだけだったのか、それとも文化芸術が花開くまで安定していた土地柄ではなかったのか?祭りは相馬をはじめいろいろなところに残っている。知らなかったことが多く興味をもって読んだ。

本書に
「福島県の明治以降の歴史を振り返れば。戊辰戦争の敗北により、「白河以北一山百文」とまでいわれた蔑視と差別の構造からの脱却をめざしたように思われる。しかし一度「賊軍」の汚名をきせられた福島にとっては容易なことではなかった。」とあるが、未だに戊辰戦争の敗北は尾を引いているようだ。明治時代から常磐炭坑、猪苗代などの水力発電所は首都圏の電気を賄うために次々と建設されている。石炭も地元ではなく首都圏の産業のため、いまの原子力発電所と同じ構図が見えてくる。