投稿者 スレッド: Bardで和歌の解釈をしてくれます  (参照数 26 回)

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Bardで和歌の解釈をしてくれます
« 投稿日:: 10月 08, 2023, 01:39:15 pm »
Bardで和歌の解釈をしてくれます - つみかさね
https://3yokohama.hatenablog.jp/entry/2023/10/08/125559

Bardで和歌の解釈をしてくれます。歌の解釈は人それぞれによって違ってきま
すが、平均的な答えになっていると思いますが、いかがでしょうか?最初の2
首は小倉百人一首から、後の2首は展示会から借りてきました。有名な小倉百
人一首だと解釈文がネット上にも転がっているので、それを拾ってきた方も知
れませんが、展示会からのものはBardが初めて見たものでしょう。それにして
は旨く解釈しているように思います。和歌は凄い情報源ですが、最近の日本人
には理解、解釈できないものになってきています。Bardの力を借りて和歌、俳
句などの解釈をこころみるのも楽しいかなと思います。また和歌、俳句をプロ
ンプトにして絵を描かせるのも楽しいと思います。因みにChatGpt(無料版)
は作者を間違えたりかなりアバウト(いい加減な)答えを出してきます。それ
に比べてBardは正確かなと思います。やってみないと判らないところがあるの
で先ずはやってみましょう。

Bard
https://bard.google.com/chat
Microsoft Bing の Image Creator
https://www.bing.com/create

1.次の和歌(小倉百人一首)を解釈して言わんとしているところを教えて下
さい
君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ

光孝天皇のこの和歌は、恋しい人への愛情と献身を表現したものです。
「君がため」と繰り返すことで、恋しい人への想いの強さが伝わってきます。
また、「若菜」は春の七草のひとつで、長寿の象徴とされています。つまり、
恋しい人に長生きしてほしいという願いが込められています。
「我が衣手に雪はふりつつ」は、雪が降りしきる寒い日に、恋しい人のために
若菜を摘みに出かける様子が描かれています。この句は、恋しい人への想いが
あまりにも強いために、寒さや苦労もいとわず、若菜を摘みに行くという、恋
人の想いの深さを表しています。
また、雪が降る寒い日に若菜を摘むという行為は、恋しい人への献身と愛情の
象徴とも解釈できます。恋しい人のために、自分の身を犠牲にしてでも、若菜
を摘みに出かけるという、恋人の強い愛情が表現されています。
このように、この和歌は、恋しい人への愛情と献身を表現した、優しくも切な
い恋歌です。
以下に、この和歌を現代語訳したものをご紹介します。
あなたのために春の野原に出かけて、若菜を摘んでいる。私の着物の袖に、雪
が降りかかってくる。
この現代語訳では、雪が降りしきる寒い日の様子がより明確に伝わります。恋
しい人への想いがあまりにも強いために、寒さや苦労もいとわず、若菜を摘み
に出かけるという、恋人の想いの深さがより強く表現されています。

2.次の和歌(小倉百人一首)を解釈して言わんとしているところを教えて下
さい
花の色はうつりにけりないたづらにわが身よにふるながめせしまに

小倉百人一首の9番、小野小町の「花の色はうつりにけりないたづらにわが身
世にふるながめせしまに」は、春の長雨が降り続く間に、桜の花の色が色あせ
てしまったように、私の容姿もすっかり衰えてしまったことを詠んだ歌です。
「花の色」は、文字通りの桜の花の色であると同時に、作者自身の美貌を象徴
する言葉として解釈されています。また、「いたづらに」は「むなしく」とい
う意味で、長雨のせいで桜の花が色あせてしまったことを、作者の人生におけ
る何かの無駄な時間や出来事に重ね合わせていることを示しています。
「わが身世にふるながめせしまに」は、「ぼんやりと物思いにふけっている間
に」という意味です。作者は、春の長雨に物思いにふけっている間に、自分の
容姿の衰えに気づいたのでしょう。
この歌は、人の美しさは永遠ではないことを詠んだものであり、また、時間の
流れの儚さや人生の無常さを表現した歌としても捉えることができます。
さらに、この歌は、作者の恋愛や世俗的なことに心を奪われ、自分の美貌を大
切にせずに過ごしてきた後悔の念を、桜の花の色あせに重ね合わせたものだと
解釈することもできます。
いずれにしても、この歌は、作者の人生観や美意識が垣間見える、奥深い作品
であると言えるでしょう。

3.次の和歌を解釈して言わんとしているところを教えて下さい
日本海に 陽は沈み ゆき手を合わす 亡き夫偲ぶ 古里新潟

この和歌は、故郷の新潟で、亡き夫を偲ぶ女性の心情を詠んだものです。
まず、冒頭の「日本海に 陽は沈み」は、夕暮れの新潟の風景を描いています。
日本海に沈む夕日を眺めながら、女性は亡き夫の面影を偲んでいるのでしょう。
次に、「ゆき手を合わす」は、女性が亡き夫の手を握りしめている様子を表し
ています。亡き夫が今ここにいれば、二人で手をつなぎながら夕日を眺めただ
ろうという、女性の切ない思いが伝わってきます。
そして、後半の「亡き夫偲ぶ 古里新潟」は、女性が亡き夫との思い出を深く
刻み込んだ故郷への思いを表現しています。故郷の新潟は、女性にとって亡き
夫と過ごした大切な場所であり、だからこそ、その場所で亡き夫を偲ぶことが
できるのです。
このように、この和歌は、亡き夫を偲ぶ女性の切ない心情と、故郷への深い思
いが、対比的に表現されています。
具体的には、以下のような解釈も考えられます。
女性は、故郷の新潟で亡き夫と再び会えるのではないかと、淡い期待を抱いて
いる。
女性は、亡き夫との思い出が詰まった故郷を、いつまでも大切にしていきたい
と思っている。
いずれにしても、この和歌は、亡き人を失った悲しみと、それでも故郷への思
いを忘れられない女性の心情を、切なくも美しく描いたものと言えるでしょう。

4.次の和歌を解釈して言わんとしているところを教えて下さい
木洩れ日に 覗かれ楽し 露天風呂 思い出つづる 終活の旅

この和歌は、終活の旅で露天風呂に入ったときの思い出を詠んだものです。
「木洩れ日に 覗かれ楽し」の部分は、木漏れ日が差し込む中、露天風呂に入
る自分の姿を誰かに見られたことが、むしろ楽しかったという気持ちを表して
います。これは、終活の旅で自分の人生を振り返り、これまでの人生を肯定的
に捉えている様子を表していると考えられます。
「露天風呂 思い出つづる」の部分は、露天風呂に入ったことで、これまでの
人生で経験した様々な思い出が蘇ってきたという気持ちを表しています。これ
は、終活の旅を通じて、自分の人生を見つめ直す機会を得たことを意味してい
ると考えられます。
「終活の旅」という表現は、人生の終わりに向けて、自分の死後のことを整理
したり、残された人への思いを整理したりする旅という意味です。この和歌は、
そんな終活の旅の中で、露天風呂に入ったことで、これまでの人生を振り返り、
これからの人生をより充実したものにしていきたいという気持ちを詠んだもの
だと考えられます。
具体的には、以下の解釈が考えられます。
終活の旅で、これまでの人生を振り返り、人生を肯定的に捉えるようになった。
終活の旅を通じて、自分の人生を見つめ直す機会を得た。
終活の旅を通して、これからの人生をより充実したものにしていきたいと思う
ようになった。
この和歌は、終活の旅を通して、人生を見つめ直し、より充実した人生を送り
たいという、作者の強い意志が感じられる作品です。