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武谷三男という人
« 投稿日:: 1月 10, 2013, 08:42:31 pm »
武谷三男という人

物理学者でノーベル賞候補になったこともある優れた科学者であり、科学史家、哲学者でもある。日本の原子力の第一人者原子力発電推進派も反対派もバイブルとした。その中でも一般的に手に入りやすい本として「原子力発電 武谷三男 1977/08/10 岩波新書」「原水爆実験 武谷三男 1978/05/20 岩波新書」今読んでも新鮮だ。


(原子力発電より)原子炉の暴走について
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炉が暴走状態に陥って出力がどんどん上がり出しても、それが何時までも際限なくつづくことはない。たとえば軽水炉をとりあげるならば、冷却水の温度・圧力がどんどん上がると、原子炉を入れた圧力容器が一次冷却水のパイプやバルブを破って水が外に吹き出てしまうだろう。こうして減速材の水がなくなってしまえば連鎖反応は自動的に止まるのである。

このように、発電炉が暴走状態になっても、核爆発的なエネルギーの放出にはならない理由が明らかとなった。出力がそのレベルに達するはるか手前で、一次冷却回路のどこかが破壊され、中性子の減速と冷却の役割を果たしていた水が外に吹き出してなくなるか、あるいは炉心の燃料棒が吹きとんでばらばらになって連鎖反応が止まるからである。

だが、これで安心というわけにはゆかないのである。

水を減速材に使った原子炉では、たとえ暴走がおこっても水がブレーキの役をして、水のなくなったところで連鎖反応が止まってしまうことを見た。ところが、水は中性子の減速材であると同時に、炉心の熱を外に運び去る役をしている。水がなくなると、ブレーキは効くが、同時に原子炉は空焚きの状態になる。

たとえ連鎖反応が止まっても、炉心の発熱はすぐには止まらない。核分裂が止まっても、死の灰の放射能による発熱が残る。たとえば電気出力一〇〇万キロワット、熱出力では三〇〇万キロワットで運転されていた原子炉は、その連鎖反応が完全に止まっても、三秒後にはその十分の一の三〇万キロワットの発熱をつづけており、一時間後になっても百分の一の三万キロワットの発熱がつづいている。こうして、小出力の原子炉ではあまり重大問題とはならなかった放射能による発熱が、大出力の発電炉の場合には大変な熱量となって原子炉を破壊する。

この崩壊熱による「空焚き」が何をもたらすのかをリアルに描き出していく。

冷却水のパイプが切れて水の循環が止まるやいなや、炉内の水は水蒸気になって急激に切れ口から吹き出し、五―一〇秒以内に炉心は空になる。冷却材のなくなった燃料棒は放射能による発生熱で毎秒一〇度ぐらいずつ温度をまし、三〇―五〇秒のちには危険な一〇〇〇度をこえた領域に入る。こうなると、燃料棒のさやのジルカロイは炉内に残った水蒸気と反応して、水素ガスの発生とともに発熱をする。その発熱による温度上昇がさらに反応を進めるという悪循環がおこる。

一分ぐらいののちに、燃料棒のさやはジルカロイの融点一八五〇度をこしてとけはじめ、やがて燃料棒はばらばらになって炉の圧力容器の底に落ち込んでゆく。炉心が崩壊し一〇―六〇分後には、燃料棒が酸化ウランの融点二八〇〇度をこえてとけはじめる事態がおこるだろうが、その時の状況はさまざまに考えられる。とけた燃料棒の塊りが容器の底をいっぺんに落ち込むことがあると、底にたまっていた水は瞬時に沸騰して水蒸気となり、溶融した塊りを吹き上げて圧力容器をこわすことも考えられよう。

幸いにして、そのようなことがなくとも、容器の底には重量一〇〇―二〇〇トンもの溶融金属塊ができるわけだ。一―二時間ののちに、金属塊は圧力容器の底をとかして貫通し、外側の格納容器の底に落ち込む。そこで格納容器にたまっている水との反応が、格納容器を破壊するおそれは充分にある。

(岩波新書『安全性の考え方』)
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福島第一事故よりずっと前にちゃんと最悪の場合まで考えていた人がいた。また 放射能・放射線をめぐって、被曝線量の「限界」を「がまん量」だと喝破している点も、本質的で明快なものだ。

障害の程度を正確に科学的に推定することが不可能な場合、こと安全問題にかんしては過大な評価であっても許せるが、過小な評価であることはあってはならない。
この原則的な立場に立てば、「しきい値」の存在が科学的に証明されない限り、比例説を基礎において安全問題は考えなければならない。ちょうど具合のよい所に「しきい値」があって、それ以下は無害と都合よくいっている根拠は何もないからである。

そうすると、有害、無害の境界線としての許容量の意味はなくなり、放射線はできるだけうけないようにするのが原則となる。そして、やむをえない理由がある時だけ、放射線の照射をがまんするということになる。どの程度の放射線量の被曝まで許すかは、その放射線をうけることが当人にどれくらい必要不可欠かできめる他ない。こうして、許容量とは安全を保障する自然科学的な概念ではなく、有意義さと有害さを比較して決まる社会科学的な概念であって、むしろ「がまん量」とでも呼ぶべきものである。
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巨大科学と科学の進展と人間、自然との関係についていろいろな認識を残している。この人は科学者の前に哲学者、科学的興味だけで物理学をやったのではない。科学の大いなる恩恵を受けるかもしれないけれど大きなダメージもあることを突き詰めて考えていた人だと思う。

「武谷三段階論」
「人間の認識を現象論的段階、実体論的段階、本質論的段階の三段階を経て発展する」と捉える武谷の学説は、いわゆる「武谷三段階論」として知られている。これは、自然認識における新しい弁証法の考え方である。
    現象論的段階 - 現象をありのままに記述する段階
    実体論的段階 - 対象の構造を研究する段階
    本質論的段階 - 対象がどのような相互作用の下に、どのような運動法則に従っているのかを明らかにする段階
また、「技術とは客観的自然法則の意識的適用である」と捉える新しい技術論を開いた。原子力平和利用の三原則として「自主・公開・民主」を提唱している。

ドキュメンタリー映画「世界は恐怖する 死の灰の正体」の中で立教大学の研究室が核実験の影響を分析しているところが出ていたが、このとき武谷三男は立教の教授だった。それで納得した。30年ほど前に武谷三男の著書に出会って、本物の科学者だと思って下記の本を購入して読みふけったことがある。原子力についてというより科学と人間について示唆されるとこが多かった。科学、技術を目指す人には是非読んでもらいたい本だと思う。

原子力発電 武谷三男 1977/08/10 岩波新書
原水爆実験 武谷三男 1978/05/20 岩波新書
物理学は世界をどう変えたか 武谷三男 1976/06/30 毎日新聞社
思想・科学・哲学 武谷三男 1977/05/10(武谷三男現代論集4)剄草書房
技術と科学技術政策 武谷三男 1976/04/25 (武谷三男現代論集3〉剄草書房
原子力   武谷三男 1974/06/25 (武谷三男現代論集1) 剄草書房
自然科学と社会科学 武谷三男 1970/2 (武谷三男現代論集5)
文化論 武谷三男 1970/2 (武谷三男現代論集6)

武谷三男博士の著作目録(第4版)
http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~sokened/sokendenshi/vol14/taketani_list.pdf