投稿者 スレッド: つれづれなる(2)  (参照数 490 回)

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つれづれなる(2)
« 投稿日:: 11月 14, 2012, 12:38:41 am »
生産者的発想から消費者的発想への転換
いままで余りにも生産についての議論が多すぎたきらいがある。これからは消費者の立場に立った物の考え方が必要になってくる。

  「豊かさ」「成熟」「情報化」「ソフト化」「知価革命」等のキーワードは従来のアメリカンスタイルのライフワークの「行き詰まり」を難しくいったものである。
  30年から40年にかけての高度成長時代40年から昭和の終わりごろまでにかけての模索の時代。
  大きくなってきた日本の経済をひっぱていける産業はいつまで立っても「物づくり」産業に代わりはない。それ以外の物が主役になることは有り得ない。「軽薄短小」というスローガンもやはりかけ声が大きく聞こえるだけである。
  格好のよい言葉を使うとよく判ったような気がするけれど実際は全く判っていないことになる。議論が空回りをしてしまう。

 GNP世界第二位になっても我々が豊かさを実感しないのはあらゆる面において選択の自由が少ないことに原因がある。小学校においても自由に選択できない。決められた学区の人はただ一つの小学校にいくしかない。それ以外の選択の余地が無い。こんな世界は共産圏を除いて他にない。
  商店を始めるにしてもいろいろ規則ずくめの中を通らないと何もできない。自由度の多い世界が豊かな世界ではないか。

 これからの時代は交渉(社交)の時代である。会社社会主義から社交の時代となってくる。これに対応するためにはサロンを開く必要がある。自分とは違った価値観を持った人々を許容することが出来るようにならないといけない。野次馬根性で何にでも首を突っ込める性格でないといけない。
 今までのように均一性ばかりにこだわっているとこれからの時代は生きて行けない。違って当り前にならないといけない。同一規格の大量の商品ばかり世の中に溢れさせる事が良いことだとばかり言っていられなくなってきている。

 今の若者は流行を着ているのではなくて、流行に着られている。センスがよいということはすっきりしているということだ、ごてごてと飾られていてはセンスがよいとは言えない。女性が美しく優雅に見えるのは和服が一番、次にスカート、最悪がズボン、スラックスである。
  秘すれば花、秘さらざれば花にあらず「風姿花伝」世阿彌

  時間配分大改造計画
40才代になると、今までの経験からして、自分で責任を持って引き受けられる範囲と言うものが判ってくるはずである。従ってやれる範囲と言うものを限定した上で時間配分を考えないといけない。限られた時間をどう使うかにかかってきている。

  40代の人生設計について少し考えてみよう。やはり基本は自分の納得のいける人生を送ることが出来るように考えないといけない。仕事と言うのは自己実現のための一つの方法でしかない。仕事一点張りで少々出世したところでたかが知れている。人より少し階段を登ったところで一段か二段の違い。それよりは人格を磨く工夫をしないといけない。仕事以外の人生もないがしろには出来ない大切な問題である。家族、子供の事も大切に出来ないと生きている意味がなくなってしまう。自分の生きている意味をゆっくり考えてみる必要がある。仕事も家庭もついでの人生ではいけない。

  何事も理屈の多い現在に理屈を抜きに考えてみる必要がありそうである。何事においても楽しめる雰囲気のある人生を送りたいものである。つらいつらいと思っても一生、楽しく過ごしても一生。何事か始める場合でも5000時間やればそれなりのレベルに達することが出来るということを信じて始めてみたいと思う。何かを始めるのに年齢は関係無い。うまくいかなかったときの予防線のために年寄りと言うことを逃げ口上にしてはいけない。年齢とは関係無いところで決まっているものであるということを忘れてはいけない。

  人生40年の間に体、心に染み着いたいろいろなゴミ、塵、垢、ほこりを一度取り除く必要がある。そのためには一番よく見える形でいままでため込んできた資料、本、物、服、靴等をいっかい整理していらないものを捨ててしまう必要がある。まず、見える物からやって見るということが必要であるように思う。

  CI(コーポレット・アイデンテティ)の時代からPI(パーソナル・アイデンテティ)(プレジゼント・アイデンテティ)の時代。これからは個人のパーフォマンスが重要な時代となってくる。一人はみんなのためにみんなは一人のために、自己を確立した各個人がみんなで集まって何かをする時代。自己実現の出来る時代でないといけない。

  女性が仕事が出来るようになることと女らしさがなくなってくるということは比例するらしい。女らしさを追求すれば仕事は二の次、仕事を追求すれば女らしさは二の次。

  40代はもっと面の皮を厚くして何事にも驚かないという姿勢が必要である。
  不要の要ということを十分考えてみる必要がありそうだ。

  教育と言うものは教すなわち教えるということと、育てるということで成り立っている。従って今のように教えることばかりに一生懸命になるのではなく、自分で育ってくることを待つ勇気とゆとりを持たないと行けない。何事においても遅すぎるということはない、気が付いた時点から始めても遅すぎるということはない。教育とは待つゆとりを持つことである。  焦って何事にも口をはさむという愚かなことは大いに慎まないといけない。判らないことを判らないままでしばらくほおっておけるゆとりを持ちたいものである。何でもすぐ判らないと行けないと言うしがらみから脱出しよう。

  判ること、出来ること、判らないこと、出来ないことを十分自分で区分けの出来る思考法を考えないといけない。判らないこと、出来ないことを放り投げておくことの出来る勇気を持とう。