投稿者 スレッド: 井沢元彦の戦乱の日本史  (参照数 285 回)

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井沢元彦の戦乱の日本史
« 投稿日:: 3月 01, 2013, 06:50:05 pm »
書名:井沢元彦の戦乱の日本史
著者:井沢 元彦
発行所:小学館
発行年月日:2009/12/6
ページ:253頁
定価:1300円+税

日本の戦乱(桶狭間の戦い、本能寺の変、物部・蘇我の戦い、日露戦争などいろ
いろ)を題材に、今までの歴史で定説、常識というものを再分析、評価し直して
いる。乃木大将は名将か?愚将か?旅順攻略に15000人の戦死者を出して愚将とい
うのが定説ですが、第一次大戦でフランスのベンダン要塞攻防戦ではドイツ、フ
ランス軍合わせて26万人の戦死者をだしている。

要塞を攻略は大変なこと。旅順攻略がベンダン要塞攻略の後だったら、間違いな
く乃木は名将と言われていたのではないか。白虎隊というと会津城落城、若い少
年隊員が全滅したという先入観があるが、実は白虎隊は総勢305人そのうち切腹し
たのは19人に過ぎない。それも城の方角から黒い煙が見えたのを会津城が落城し
たと勘違いから。

河井継乃助(北越戊辰戦争)は司馬遼太郎作品「峠」では褒めまくっているが、
戦いの行きがかり上やむを得ないところもあるが、長岡の地を焦土と化した責任
は大きい。武士としての意地は通したが、徳川慶喜のように武士の意地は通せな
かったが江戸城無血開城したのに比べてどうか?難しいところ。

明治維新の立役者として薩長土肥といわれるが、肥(肥前)にはどんな人がいた
だろう。大隈重信、江藤新平等はいるが活躍したのは維新後。でもなぜか薩長土
肥と言われる。その理由は肥前は西洋化が一番進んでいて官軍に優秀な武器、兵
器を供給したという貢献があった。大きな事件、小さな事件にもいろいろと解釈
の違い、視点の違いが発見できる。桶狭間の戦いで織田信長は甲州武田の騎馬軍
団を壊滅させる。鉄砲の音に驚いた馬が制御不能になったためではないかと著者
はいう。馬はデリケートな動物さもありなんと言う気もします。