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ソーシャルメディアを考える
« 投稿日:: 3月 01, 2013, 06:38:02 pm »
ソーシャルメディアを考える
SNS、twitter、などFacebookは今年ブレークするなんて言われているが、ネット
ワークツールを活用しても、みんなから注目されたり、自分の能力が一気にアッ
プされるわけではない。ネットは自由な空間でも、平等な空間でもない。やっぱ
り現実世界と同じ、やっぱり発信力のある人、存在感のある人はネットであって
も、現実世界であっても個人の資質に左右される。ネットに対する期待値を大き
く膨らませることなく、自分の身丈にあった楽しみ方、つき合い方というものが
あると思う。過剰になる必要はないと思う。脚下照顧(足下を見よ)ですね。

今、twitter、Facebookなどで著名な人たちは実は実力があるわけではなく、単に
人より早く始めた。創業者利益と同じ。単に早いだけ、著名だから発言に対して
提灯持ちが周りにまとわりつく、おかしいとか、違うという意見、提案などを後
発の人がすると親衛隊(フォロアー)がみんなでガードする。一種異様な世界。
またネットの世界はきれい事ばかりではなく生身の醜いところも一杯あって、人
間くさいところがまた面白い。

人より早く始めるだけ、こんなものはいずれ淘汰されて行くでしょう。これから
の一般的な人たちがもう少し自分の身丈にあった使い方をしていくか?常に新し
いもの、話題ばかり追いかけて結果なにも残らないようになってしまうか。面白
いところ。写真は概要をつかむには良い。映像も判りやすい。でも詳細は自分の
眼で見て、スケッチすることでよく見えるようになる。ネットは概要をつかむに
はいいけれど、深く考えるには向いていないように。熟慮にはやっぱり生身の対
面、対決、相づちが必要。そんな気がする。ネットはやっぱりかゆいところに手
が届かない。